『朽ちていった命』

『朽ちていった命―被曝治療83日間の記録―』という本をご紹介。著者はNHK東海村臨界事故」取材班。本書は1999年9月に茨城県東海村で起きた原子力事故で被曝した大内さん(作業員)の治療をめぐる東京大学医学部付属病院の医療従事者たちの記録です。以下、面白いと思った5つ。

10月5日。被曝から6日目。無菌治療部の平井久丸のもとに、転院の翌日に採取した大内の骨髄細胞の顕微鏡写真が届けられた。そのなかの一枚を見た平井は目を疑った。染色体はすべての遺伝子情報が集められた、いわば生命の設計図である。通常は23組の染色体がある。1番から22番と女性のX、男性のYとそれぞれ番号が決まっており、順番に並べることができる。しかし、大内の染色体は、どれが何番の染色体なのか、まったくわからず、並べることもできなかった。断ち切られ、別の染色体とくっついているものもあった。染色体がばらばらに破壊されたということは、今後新しい細胞が作られないことを意味していた。被曝した瞬間、大内の体は設計図を失ってしまったのだった(pp56−57、一部省略)。


(pp96−98の間に記載された写真)

被曝から27日の10月26日、突然、大量の下痢が始まった。前川(注、医療従事者)がもっとも恐れていた事態だった。大内は事故直後に下痢の症状があって以来、下痢は止まっていた。これで大丈夫だろうかと思っていたところに始まったのである。ただし、これまでの被曝事故のケースで報告されているような血の混じった便ではなく、緑色の水のような便が出ていた。急きょ、消火器内科の岡本がよばれ、大腸の内視鏡検査がおこなわれた。モニターに現れた大内の腸の内部は、粘膜がなくなって粘膜下層とよばれる赤い部分がむき出しになっていた。死んだ腸の粘膜は徐々に白く垂れ下がっていた。この状態では消化も吸収もまったくできない。下痢の量は日に日に増え、1日3リットルを超えた(pp103−106、一部省略)。

事故の瞬間、もっとも多くの放射線を浴びたとみられている(注、大内)の右手は、被曝から2週間たったころから表面が徐々に水ぶくれになっていた。人間の場合、皮膚の表皮が新しく入れ替わるまでのサイクルは約2週間といわれている。医療テープをはがすときにいっしょにむけていた皮膚は水ぶくれが破れて、中から体液や血液が浸み出してくるようになった。放射線で染色体がずたずたに破壊された大内の皮膚の細胞は分裂できず、新しい表皮が生まれてこないのだった。大内の全身は包帯とガーゼで包まれた。面会に来た妻と妹はさみしそうに「もうさわれるところがありませんね」と言った。大内の体を包んでいたガーゼや包帯は、体から浸み出す体液を吸い込んで重くなっていた。その重さを毎日量るのも看護婦たちの重要な仕事だった。浸み出した体液はこのころ、1日1リットルに達していた(pp107‐110、一部省略)。

被曝から50日目の11月18日、下痢が始まって約3週間後のこの日、ついに下血が始まった。翌19日には胃や十二指腸などからも出血が始まった。下血や、皮膚からの体液と血液の浸み出しを合わせると、体から失われる水分は1日10リットルに達しようとしていた。医療チームは1時間ごとに大内の体から出ていった水分を量り、1日6回に分けて、ほぼ同量の水分を補給していた(pp118−120、一部省略)。

原子力とは何か。原子力をどう理解すればよいか。本書はその手助けとなる一冊です。

朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)

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