電車で

時刻は18時。帰宅ラッシュ。座席は埋まっていて、サラリーマンがつり革をつかんでいる。いつもの風景。そこに小学1、2年生の男の子が足を踏み込む。日に焼けた丸い顔、黄色い帽子、そして黒いランドセル。彼は大人たちの合間をぬって、最適な場所を探す。あっちへいったり、こっちへいったり。足取りは頼りないが、顔つきは緊張感があって、しっかりしている。彼は小さくて丸い手で、僕が座っていた座席のポールを握る。

僕は彼に座席を譲らないと決める。子どもは成長していく生き物だから、立って体力を養いなさい。そう決めたが、電車の揺れにあわせて、彼の体がふらつく。彼のふらつきにあわせて、僕の決定も揺らぐ。この空間の9割以上が大人で、子ども=弱い生き物という図式が成立したからだ。この図式の成立は僕だけではない。

僕の真向かいに座っいた若い女が、座席から立ちあがり、膝を折って、目線を彼と同じ位置にそろえる。「どこで降りるの?お姉ちゃんもうすぐ降りるから、座る?」彼は表情を変えず、首を横に振る。少し沈黙して「●●駅」と答える。女は続ける。「疲れたやろ、座ってもいいねんで。お姉ちゃん降りるから」彼は首をまたふって、それから握っていたポールから手を放し、若い女が座っていた席に腰をおろす。彼はランドセルを背負ったまま腰かけたから、上手に座れない。

彼を気にする必要がなくなった僕は、読書を続ける。それから顔を上げて、彼を見る。彼は口を開けて、電車の揺れに合わせて、ふらふら眠りこけている。どちらかといえば優しさを好む僕は、一連のやり取りと彼の寝顔を見てなごんだ。