はじめに

職業雇用安定所前でバスを降りる。住宅街をしばらく歩くと、「職業雇用安定所・ハローワーク」(通称、職安・ハロワ)と書かれた看板よりも先に、職安の駐車場に入ろうと待機する最後尾の車が目に飛び込む。待機する6台の車を横目に、歩を進める。白いジープ、赤い軽自動車、スカイブルーの普通乗用車、黒塗りのベンツ…。「満車」の立て看板と日に焼けた中年男の警備員がよく目立つ。警備員は「今、軽が来た。いけるか。あっそう、いけるか」と別の警備員とトランシーバーで連絡を取りながら、車を整理する。警備員は右側から駐車場に入ろうとする車に駆け寄り、運転席の窓を開けさせる。「今回はいいけど、次回は左側からね」。
街で見かけるさまざまな世代がこの職安に訪れる。若いギャル男・女。暖色系の上着を着る中年男。淡いピンク・黄色の薄手セーターを着る太った中年女。黒・灰・カーキ色という地味な服装の若い男。ショップ定員のような身なりの若い女。彫りの深い顔で、派手な衣類を身につけ、ポルトガル語を話す小さな集団。10代と思われる男とその母親。60代以上に見える作業服を着る男。

肌の色が黒い男と2人の女が駐輪場に自転車を止め、職安に消える。3人は5分後、職安から現れる。あきらめた顔だ。女の1人がハローワークでもらった用紙を片手に持つ。女は「7年前にフィリピンからきました、フィリピン人です。ハローワークにきても日本語読めない、漢字意味がわからない。仕事がない、どうしたらいいかわからない」とこぼす。
まばらな人だかりが職安の出入り口にある喫煙所にできている。黒色のポロシャツを着た中年男がハイヒールを履いた髪の長い若い女にアドバイスを送る。2人ともタバコを指に挟み、時々吸う。他の者は求人表の束をぺらぺらとめくり、眺めている。

職安の扉を開けて、室内に入と、来訪者が30人は座れるだろう待合室のイスを埋めている。若い男がブースで仕切られた求人検索パソコンをにらむ。中年女が求人募集の掲示板に張り出された求人表を見ている。黒いジャージを着た初老の男が求人表を片手にトイレへ向かう。「221番のカードをお持ちの方」という女の擬声アナウンスが室内に流れる。手持ち無沙汰の職員はいない。ある職員は「リーマンショック後は4時間ぐらいの待ち時間がありましたけど、今は1時間ぐらいですから、これでもましなほうです」という。
時々、名の知れた不動産仲介業や生命保険企業などの車が職安へ出入りする。警備員はこの類の来訪者に「ご苦労さまです」と頭を軽く下げる。この来訪者はよく目立つ。来訪者は企業バッチを身につけたスーツや企業の制服を身にまとい、背筋を伸ばして、リズミカルに歩くからだ。スーツ姿の2名の男が職安から出てくる。一方は背が高くめがねをかけ、他方は筋肉質で痩せている。後者が「あれ待ってるの、全部、失業してんのかな。どんだけ失業してんねん!」と乾いた声でアハハと笑う。


別の職安の風景はのどかだ。田んぼの土手にタンポポが咲き、すずめが飛び回る。世代を問わない来訪者がおよそ10分に1度の割合で職安の自動扉をくぐる。名札を首からぶら下げたスーツ姿の職員が時々、職安から出て、タバコを吸う。若い2人の男が喫煙所で一服している。中年女たちの会話が聞こえる。「仕事ないない。あそこも人減らしたし」、「あんたも大変やなあ」。しかめ面の男に話を聞く。男は「今33歳。焼肉屋の正社員。景気悪いから会社は暇や、客が全然。将来が不安やから、休みの日に職安で情報収集してるんや。ええ職見つけたら、焼肉屋辞めたいけど、こんな時代やから正社員の職が全然ない。食品業界も競争のしすぎで、消費者は得するけど、締めつけは従業員にくるんや」と怒る。34歳の女は「今日は求人表見に来た程度です。今のパートよりもいい条件があれば、そちらに行きたいと思って。不安は特にないですね、主人がいますから」と涼しい顔だ。この職安には来訪者の少ないので、警備員がいない。来訪者はかつて栄えていた面影を残す家具屋の駐車場に車を止める。16時を過ぎる頃には、職員の数が来訪者を上回る。駐車場の半分はガランと空く。高校生カップルが自転車に2人乗りをして、職安の前を通りすぎる。


世代を問わない多くの人が関西の主要都市に位置するこの職安に出入りする。目を通りにやれば、バス、クルマ、バイクが通りをひっきりなしに走り、外国人観光客、修学旅行生、サラリーマンたちが目の前を通りすぎていく。
15時を過ぎる頃に、男女の保険外交員が5人から10人現れる。外交員はスーツとビジネスカバンで身を固め、職安から出てくる人々を品定めする。外交員は中年や老年の男女、身なりのよくない若い男女には声を掛けない。比較的若く、顔立ち・身なりがよい女の来訪者に声を掛ける。
外交員の決まり文句は「こんにちは。今、お仕事探していらっしゃるんですか」、「お疲れさまです。私こういうものですけど」である。声を掛けられた来訪者は携帯電話を使いーメールを打つ、音楽を聴く、会話するー外交員の前を早足に通りすぎる。外交員は来訪者の歩調に合わせて、声を掛けるが、おおよそ無視される。無視されると、外交員は定位置に戻り、同僚に愚痴り、笑い、品定めを再び始める。声掛けが成功することもある。若い女の来訪者が外交員と10分ほど立ち話をする。その女は外交員の持参した記入用紙に何かを書き込む。外交員は携帯を片手に「〜さんという女性の方で、年は19歳です。これから社にお連れしようと思います」と話す。2人は人ごみの中に消える。


電車内でスーツ姿の若い女日経新聞を読んでいる。束ねられたツヤのある黒髪。透明色のマニュアが塗られた爪。ヒザの上には品の良いバック。電車の扉が全国区の私立大学のための駅で開く。高校生、中年男、男児と歩く老年の男、若い男女の群れが扉を行きかう。ある時点で、その速度が落ちる。1人の中年男が周囲に同心円状の小さな距離を作らせているからだ。痩せた体、日によく焼けた顔、頬骨と眼かを覆う薄い皮膚、手入れされていない白髪混じり髪・ひげ・眉毛。中年男は小さな黒色のキャリーバックと少し傷んだ大きな紙袋を引き上げて、車内に入る。履きつぶした運動靴、汚れたチノパン、ナイロン製のアウター。後続の乗客は中年男と距離を置きながら、乗車する。 
先の女は中年男を一べつするよりも長い時間、見つめる。次に女は車内の広告や車外の風景を見て、再び日経新聞を読む。最後に女は中年男を一べつしたあと、二度と見ない。ほとんどの乗客の行為も女とよく似ている。戸惑い、観察し、そして無視する。中年男は周囲の視線を無視し、4人掛けの座席の窓側に全身を預けるように座っている。誰も中年男の席に座らない。中年男は頬づえをついたまま、車外の風景を眺める。


コーヒーの香りが漂い、ジャズが流れているスターバックスカフェ。20代前後の女2人が高校時代を回想し、大学の選択授業に対する迷いを話した後、話題は恋人へと移る。「あんたの彼氏、今何やってんの」、「今、プー太郎。25やねん」、「えー、マジありえんやん」、「ニートっていうの、あれって」、「っていうかさ、25歳やったら働けよ。いい年やで!」女たちはギャハハと笑う。「どうするつもりなん」、「結婚したいけど、無理やし」、「別の男、探したらいいやん」、「でもウチ、彼氏が好きやし」、「そうなん。あんな、派遣切りにあった30歳の人がうちのバイトの面接にきたけど、あかんかってん。だって、店長が28歳やで。その人30歳やろ。扱いにくいやろ」、「30歳でバイトとかマジありえん」。


あなたは見聞きしたことがあるだろう。若い男が携帯電話で仕事を紹介してくれと頼む姿を、中年男が就職雑誌を読む姿を、スーツ姿の女たちがコンビニエンスストアで働く中年男を話題にしている場面を、非常勤職員のクビ切りに反対するデモを、友だち・恋人・兄弟、姉妹・親・子ども・親類の失業を。あなたは電車内、カフェ、そして街で思ったことがあるはずだ。ここで手をつなぐ若い男女は、携帯に熱中するスーツ姿の中年男は、疲れきった顔で寝ている初老の男は、企業の書類に目を通す中年女は一体何者で、労働市場に対して何を考えているのかと。
このルポはこうした疑問に応える。このルポは職安を訪れる100名の来訪者(10代から20代が29名。30代から40代が46名。50代から70代が25名。名前は仮名。年齢は自己申告)が個々の日常と折り合いをつけながら、労働市場に参入しようとする記録である。このルポは日本社会における近年の労働市場の動向を職安に通う求職者の声という視点から示そうとしている。取材を2009年4月から10月かけて関西地域の職安を利用する来訪者に行った。
あなたはこのルポを通じて、年齢・性差別の禁止の形骸化を、資格を求める求人の多さを、時給700円前後から1,000円前後の賃金で社会保障のないアルバイト・パート募集の多さを、そして年配の求職者ほど、または家族を抱えている求職者ほど話が切実であることを知るだろう。「就職に強い資格!」、「就業における年齢・性別差別は禁止」などマスメディアや行政の言説を通じて、労働市場に包摂されていると思っているあなたは、実は労働市場から排除されているのではないか、という疑いを抱くだろう。職安で正社員の求人を探せば、求人はある。そこには「年齢。30歳以下、長期勤続によるキャリア形成のため」、「学歴。大卒以上」、そして「必要な免許資格等。普通自動車運転免許」という条件がおおよそつく。
労働市場に対して一般教養としての関心を持ち、行動としての無関心を示すあなたならば、あるいは労働者(アルバイト・パート、派遣社員、請負、契約社員という非正規労働者、正社員という正規労働者)として働く/いたあなたならば、求職者の声に安心し、疑い、驚き、あおられ、慄き、感心し、あきれ、戸惑い、共感し、反発し、励まされ、そして優越感すら覚えるだろう。あなたは再確認するだろう。求職者は同時に子であり、母であり、父であることを。若者であり、中高年であり、老人であることを。女であり、男であることを。人間関係に乏しい孤立者である求職者も少なからずいることを。求職者は複数の社会関係、しがらみの中で日常を生き、そこと折り合いをつけながら/つけれずに、求職するという見過ごされがちな事実を。このルポを通じたその複雑な感情がマスメディアによる求職者に対する一面的な理解から脱するきっかけをあなたに与え、あなた自身を解放するだろう。