久しぶりに書き仕事

3月19日。
知り合いのAさんからライターの仕事を頼まれた。
時間がないから手伝ってほしいという。

枚数は10ページで2章分。
内容はマニュアルのリライト。
表記ルールはなし。
対象は大人。
納期は2日後。
参考資料は文末に明記。
支払いはよかった。やくざな商売だなと思う。

テーマと章立てはすでに決められていた。
ようするに、
資料からテーマに関係する箇所を引っ張りだし、編集して、自分の言葉で書く。
これなら書けるという自信と1年ぶりに書くというわずかな不安。
本業がちょうど2日間の休みで、僕は暇つぶしにはいいと考えて、この仕事を引き受ける。

10冊ほど貸して頂いた資料の目次をざっと見て、関係するページにフセンを張る。
本の中身に小項目があって、目次に小項目がない本が1冊。
その本は使えないので、無視する。

ウェブで関連資料を探す。
ウェブの資料は権威のある公共機関のものを選ぶ。
これなら文句は言われまい。
公共機関の資料は本と比べると情報量が多いから助かり、言い回しがくどくて、面倒くさい。

ユーチューブで音楽を聞きながらチャットをして、
チャットの発言の間に本を読み、検索した資料をプリントアウトして、ざっと読んで、時々書く。
音楽を止めて、AVを見て、楽天市場で買いたいものを吟味する。
パソコンの左画面で書く仕事、右画面は遊び。
たくさんお金がもらえてうれしいけど、書く気持ちがあまり沸かない。
誰かに話しを聞いてもらいたくて、
16時ごろに友人に電話を掛けるが、友人は当然仕事で、電話に出ない。
寂しい。
誰かと話したい。

日が沈み、腹が減る。
中華屋で餃子を3人前食べ、スーパーで食料を買い、帰宅。
満腹で机に向かう。
もう面倒くさい。
風呂に入って、寝たい。
時間は23時を過ぎたころで、買ったお菓子をボリボリ食べる。
2ページしか書けていない。

僕はこの仕事を引き受けなければよかったと思いながら、
前払いで頂いた諭吉を見る。

俺は金のために書いてるんだよな、昔は書くこと自体に夢を見てたのに。
諭吉を見ても、全然ワクワクしない。
俺は金がないから、あれこれ夢想して、それを楽しんでいたのに、
いざ金が入るとワクワクしないのはなぜだろう。
そんなことより、寝たい。

僕は眠気冷ましに風呂に入って、それから歯を磨く。
餃子とお菓子とほこりまみれの脂ぎった体がさっぱりして気持ちいい。
僕は3時間後に起きるという習性があるので、それを利用する。
このまま朝まで寝ることはまずないという確信の裏には、
寝たとしても書けるという今から思えば根拠のない自信があったから。
寝た。

3月20日
3時半ごろに目が覚めて、フラフラの足でトイレを済まし、うがいをして、
ヒーターを付けて、椅子に座って、水をゴクリ。
餃子はまだ消化さておらず、腹7分目。
パソコンを開いて、歯を磨く。

残りの枚数は8ページ。
締め切りの時間は17時。
残り時間はあと10時間ほど。
このままのペースだとまずいという焦りがあり、
締め切り時間を過ぎてもひょっとしたら許してくれるかもしれないという甘えもあった。
情けない。
でも、僕はその情けなさを自分に許して、受け入れたくなる。

昨日、
これならできます、とさも頭の回転がいいかのようにAさんに断言した自分を思い出す。
あんなこと、言わなければよかった。

机の上には食べ終えたお菓子の袋、鼻をかんだティッシュ、資料が散乱している。
諭吉が机の端にだらしなく並ぶ。

だからと言って、諭吉、お前はなんなんだ。

と僕はわけのわからないことを諭吉に言って、ごみをゴミ箱に捨てる。

もう、だるい。
お金を返して、この仕事をなかったことにしたい。
この仕事をやる理由は金のため、Aさんに怒られないため、恥さらしにならないため、
あとなんのためだろう。
僕は少し寒いからヒーターの熱を上げて、キーボードをポツポツとたたき始める。

本とウェブから情報を拾って、自分の言葉になおして、書く、を繰り返す。
うるさいし、邪魔だからチャットもユーチューブも止める。
時計を見るたびに、時計の針は40分飛んでいる。
コーヒーを沸かして、背伸びをして、ああだこうだと言いながら、
6時過ぎの朝日がカーテン越しに見えて、7時が来て、
半分を書き終えて、なんとかなりそうが、なんとかなるに変わる。

用済みになった資料は足元へバタバタと落とす。
新しい資料をまたプリントアウトする。
鼻紙をそこらへんにぽいぽい捨てる。

Aさんから電話が10時過ぎにかかってきて、進捗状況を聞かれる。

1章がもう出来ます。これから送ります。17時には全て終わります。

僕はこう答えてから、校正チェッカーとワードの校正機能を使って、文章チェック。
プリントアウトして文章に目を通す。
文章をまた直して、12時ごろに文章をAさんへ送る。
一息つく。

残りの時間は5時間で、書くページあと4ページ。
そういえばそのうちの1ページはAさんの書く項目と重複していたから、
そこは書かなくてもいいよ、というAさんの指示を思いだし、残りは3ページ。

まぶたが重い。
アゴをさわるとジョリジョリする。
やつれた顔が鏡越しに見える。
眠いのは眠いが、まだ続けられる。
休まないで、書こう。
さっさと次の章を終わらせて、眠ろう。
次に書く内容はさっきよりも簡単そうだし。
たくさんの人が死んだから、それを防ぐためのマニュアルをリライトするだけ。

こう思って資料を読むうちに、その情景を想像してしまった僕はわなわなと小さく震えて、泣き、誰に対して文章を書いているのかがわからなくなってしまった。

大人に向けて書く仕事。
それはわかるけど、大人って誰だ。
この仕事はマニュアルをリライトする仕事だから、つまり常識の焼き直し。
そのマニュアルは常識化して、形骸化したから、たくさんの人が死んだんじゃないか。
嘘っぱちな言葉をこの本みたいに並べて、意味があるのか。
歯切れのいいあいまいで聞こえのよいきれいな言葉ではなくて、
もっと具体的で日常的で、よく考えたらそうだという言葉。
それがいいんじゃないのか、この章の場合。
そうしたら、だけどリライトの範疇を超えるかもしれないし、
原稿を突き返されるかもしれないし、また資料を探さないといけないし、
時間もかかるし、もう眠いから面倒くさし。
だけど、これはやっぱり書かないと、いや、書こう。

という逡巡を僕は何度か繰り返しながら、忘れて、また思い出して、書き、
結局、ただのリライトに見える体裁に落ちついた。

時計は17時。
そういえば、目が覚めてから、口にしたのはコーヒーと水だけだから、
腹が減らないのは不思議だなあと思う。
2日前まではきれいだった部屋が資料とごみで散乱している。
ジッとしたまま、長時間、机に向かっているとそれ専用の皮脂が体にまとわりついて、
気持ちが悪い。

書き終えて、Aさんに原稿を送る。
Aさんと待ち合わせ時間・場所を決めて、Aさんに貸して頂いた本を返し、残りのお金を頂く。

終わった!
という充実感は1分ほど続き、眠く、体が重いという感覚がまとわりつく。
明日は仕事で、気が重い。
せっかく頑張って原稿を書き上げたんだから、いい物を食べたいという欲望が眠欲に勝る。
いい物はこのあたりには焼肉ぐらいしかなく、僕の気分は焼肉ではなかった。
いい物を食べたいという欲望が焼肉の気分ではなかった気持ちを上回り、
汚くは見えない格好で焼肉屋に行き、ビールとご飯、高級肉で夕食を締めくくる。
高級肉が舌の上で溶け、ご飯とビールで肉の油を流し込む。
風呂に入って、23時過ぎに就寝。

3月21日。
朝、いつも通りの時間に目が覚める。
仕事に行けなくはないが、焼肉の油のおかげで気分が悪い。
布団にしばらく横になり、休む決心がつかないまま服を着替え、
髪をとかし、作ったスープを飲んでいると腹が痛くなる。
だるいし、休もう、しかし仕事どうするの?
という問いを出し続け、行く、休むをうじうじ繰り返す。
熱が出たから今日は休みますというウソを僕は会社の人に伝えて、仕事を休み、寝た。
今日は大好きな人の誕生日だ。