PEOPLE

人は行きつけのカフェを作る。読書のために、友人との会話のために、デートのために、一人になるために、同僚との食事のために、そして家族と大切な時間を過ごすために。2010年12月19日、人々が集い、語らったカフェ・レストランPEOPLEは店を閉じた。

僕はここで初めて食事をしたことを思い出す。どういうわけか父親がここに車を止めたのだ。時間はおそらく15時ごろだったと思う。当時、小学生だった僕は、ここがどのようなお店であるかよくわかっていなかったから、ワクワクしていた。店内は薄いコーヒーの香りが漂い、ステンドグラス風の照明具の元で橙色の照明が照らされていた。優しくて、偉い父がテーブル越しに僕の目の前に座る。僕は理解する。ここでデザートが食べられるかもしれない。

僕はパフェを、父はコーヒー頼んだ。僕はパフェ用のガラスの器とそれをすくいだすための長い変わったスプーンの形状に驚きながら、それを夢中になって味わった。食べ終りに近づくと、どうして父は突然こんなお店に入って、僕にこれを食べさせてくれたのだろうかと考えて、すぐに忘れた。父も照明もパフェも、お店も優しかった。

それから20年経って、僕は僕の親友と1ヶ月に1度、PEOPLEで食事を取り、お茶を飲みながら、時に仕事上の愚痴を語り、お互いの人生の哲学めいた話をし、両親への愛を語り、そして将来への展望を見据えていた。僕らは長年の友人であるのにも関わらず、少なからずお互いの知られざる側面に驚きながら。来店すると、僕らは2時間ぐらいここで語り合った。お店からすれば回転数のよくないお客だったが、スタッフは某チェーン店や小さな喫茶店のように僕らを排除しようという雰囲気を作らない。僕らは忌憚なく意見を出し合い、率直に笑い合っていたし、だからこそ、ここが好きだった。ずっと続くものだと思っていた。今日も空いているから、明日も空いているし、だから明後日、明々後日も空いているお店。

実は明後日でお店閉まってしまうんですよ。馴染みの女性スタッフが僕らの会計の時にそう言った。友人はえーっと声をあげる。僕は友人に同意して、質問する。他の場所で営業するのですか?スタッフは首を横にふる。実は、僕は友人の態度とは逆に、ただそれだけのことだと思っていた。長く営業してきた一件のカフェレストランが店を閉じる。それだけのこと。けれど、違う。気楽に過ごせる馴染みのお店の閉店は、僕や父や友人らがここで過ごした時間の澱の消滅を意味した。ここは僕の一部だったのだ。たまらなく、寂しい。

PEOPLEの最終日。お店にはバラの花束が一つ、女性の名前が記されメッセージカードとともにそっと置かれている。ケーキ棚にはほとんどケーキがない。常連がお店のはなむけにケーキを買っていったのだろうと思いたい。僕のように。明日から、ここは別の場所に置き換わる。店内を見渡す。馴染みの女性スタッフは客からの注文を捌いていて、忙しそうだ。新人の女性スタッフが包み終えたケーキを僕に手渡す。ありがとうございました!僕はいつもと変らない声を背中越しに受けながら、お店を後にする。

さようならPEOPLE、さようなら、さようなら。

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