ルーシー=リー 翻訳その3

The Lucie Rie Archive at the Crafts Study Centrep4を次のように翻訳しました*1

ルーシー=リーとハンス=コパーの制作体制が整ったとき、彼女たちは個人の仕事を続けたし、1950年代のデイビス=ストリートにおけるバークレイ=ギャラリーでの一連の二人展は彼女たちの個人の陶磁器にとって一つの重要な展示だった。1960年代後半まで、二人の陶芸家はコパーの工房で(最初はハマースミスで、後にサマセット)主に陶磁器の器を参照した一度限りの作品を制作していた。それは日常使い器というよりも、ディスプレイのためのオブジェだった。様式上、彼女たちの陶器は実に異なったが、リーとコパーは親友だった。彼女たちは後の数年にわたって多くの展示会を共有し、工芸の共同体運動と論争から距離を置くことによって、協力し続けた。

アルビオン=アパートの仕事場、お互いのインスピレーション、そして理解というリーとコパーの結びつきは英国の工房の陶磁器において最も個人的で、例外的な経歴をもつ二人にとっての出発点だった。トニー=バークスは魅力的で徹底的な写真付きのリーとコパーの伝記を書いた。リーの生活と陶磁器は調査され、多くの展覧会のカタログとジャーナル集で考察されている。

マックス博士とイボンヌ=メイヤーが1999年にリーのアーカイブを工芸研究センター(CSC)に寄贈した。メイヤーは、リーの長年の友人シリル=フランケルとともに、晩年のリーの親しい仲間になった。リーが1990年代に病気になったとき、メイヤーは世話をまとめ、彼女の私事を管理した。このアーカイブはリーのアルビオン=アパートの自宅兼仕事場からの文書、写真、そして様々な項目を表した。それらがこのセンターに運ばれとき、大部分が箱の中にまとめられた。

このオリジナルな寄贈品は18の箱に分散され、マーゴット=コットが一つの目録を1999年の間に完成させた。この中身はのちに12の箱に集約され、シリル=フランケルが1999年に追加資料という13番目の箱をCSCに寄贈した。2004年、CSSコレクションの全ての記録は一つのAV(アーカイブ)シリーズにおいて連続的に数えられた。現在、このリーのアーカイブスは13の箱の資料区分はそのままに、AV88とAV90-101から成立する。2005年9月に、さらにシリル=フランケルがもう一つの資料の箱をCSCに預けた。

私は、ヘッドリー保存団体が資金援助した15ヶ月のプロジェクトでリーのアーカイブの調査を実行した(2005年10月に終える)。私たちは、現在、それが14個の箱にわたる9,000以上の個人的な項目を含むと見積もりうる。受け入れ番号はフォルダーと文書の束のレベルに少なくとも割り当てられている。ある場合には、現在、項目がカテゴリー内で個々に数えられる。その上、このプロジェクトのデジタル部門は約600のデジタル写真と広く社会の関心から選ばれた実例の説明を配信している。これは前もってデジタル化されたアーカイブから44の項目を実質的に改良する。このインターネット資料は芸術=人文学データサービス(AHDS)ビジュアル=アートウェブサイト http://visualarts.ahds.ac.uk を通じて、自由にアクセスできる。検索画像を選び、CSCコレクションの全カテゴリーを選択することで、このセンタのデジタル化された作品のキーワード検索が可能になり、十分な図解入りのカタログ記録は各々の結果を導く。ヘッドレイ保存団体のサポートはリーのアーカイブに対するこの導入の準備を可能にしている。この図解は、このプロジェクトが達成したデジタル資料から描かれる。

このアーカイブは1910年代から1990年代までのリーの全時代の記録を含む。この最も割合の大きい項目は1950年代から1980年代までの英国における彼女の仕事に関係する。つまり、ビジネス文書、供給された道具のための注文書と仕入れ書のコピー、リーの注文した本、彼女の専門ノート、そして展覧会の出版物と入場券である。

*1:翻訳に誤りがあれば、ご一報ください