ルーシー=リー 翻訳その4

The Lucie Rie Archive at the Crafts Study Centrep5を次のように翻訳しました*1

オーストリアで生れたルーシー=ゴンペルツ、ルー=リーの初期の暮らしと成年期は資料の一部から垣間見れる。写真のアルバムとバラの印刷物が彼女の家の環境、親しい関係者、そして一つの大きな拡大家族との多くのピクニックと親睦会を記録する。リー自身がそれらのアルバムの多くを編集し、注意深く分類している。1910年以前の子ども時代のルーシー=ゴンペルツと二人の兄、パウルとテディの写真がある。多くの写真は彼女の従兄弟と遊んでいる十代の彼女を映す。アマチュア演劇のためにドレスアップした彼女、泳ぐ彼女、そして田舎での彼女。この時期は兄パウル(1898年生まれ)による絵画と文学の収集であり、彼女は特にパウルと仲がよかった。パウルは武道向きというよりも芸術家肌だった。リーの伝記作家のバークスの言葉によれば、パウルは「『ユダヤ人の臆病者』と呼ばれることを避けるために」19歳で軍へ参加、1917年にイタリアの前線に送られ、たった数週間の戦闘で殺された。リーのアーカイブはこの時期からのパウルのいくつかのアトリエの肖像と、彼の幾何学の練習帳のページにある当局を風刺するボーイッシュな風刺画の束によって、この家族の悲劇を記録する。

1920年代からのたくさんの写真が友人や関係者という大きな集団での活動的なアウトドアに対するルーシー=ゴンペルツの熱中ぶりをよく証明する。彼らはスキーだけでなく水泳、ヨット、そして登山を特に好んだ。もう一つのウィーンの職業上の家族、ルーシー=ゴンペルツ家の知人はリーをつれて、ハンス=リーとの結婚に少しづつ導いた。彼女たちは1926年後半に結婚。お互いの友人とアウトドアに対するこの好み以上のものがリーとハンスを引き付けたのかもしれない。ハンスには有能でハンサムな兄であるエルンスト=リーがいた。1920年代当初、彼が登山で行方不明になると、ハンスは凍えるほど寒い思いをする兄を探し出す探索集団とともに出かけた。

*1:翻訳に誤りがあれば、ご一報ください