単調に動く

8時半に起床。食欲がわかないし、新聞も読む気が出ないから、餃子を焼き、ごはんとともに食べる。昨日の疲れが残っているのか、気持ちが安定しない、複雑だ。こういうときに考え事をすると、ろくなことがない。経験則に合わせて、淡々と行動することを決める。食器を洗い、寝癖を直し、庭を掃き(今日は朝から暑い)、部屋を掃除し、風呂場を磨き、暖房器具をしまい、ペットボトルを捨てにいき、そして靴の手入れをする。気分は相変わらずだが、何もしていないよりはましだろうといいきかせる。その後、気持ちを緩めるためにレイチャールズを流し、商売道具を開いて、キニ速を眺めてニヤニヤして、それからお礼のメールを書く。

それにしても不思議だ。起床してから掃除を終えるまでの気分は晴れなかったのに、今は朝よりましな気分だ。気分が違うと考え事に対するまなざしも変わる。朝の僕は誰で、今の僕は誰なのかわからない。自分はあってないような、やっぱりあるような、でもないような、いやいやある...その境界を絶えずまたいでるのが僕という人間なのだろうか。そうすると、何か決めるときは、なるべく気分が安定しているほうが、他人にとってはいいかもしれない。

誰かがいっていた、お前はそんなに創造的な頭脳の持ち主なのか。その言葉が今の僕にぴったりくる。ようするに、あれこれまとまりのない考えをやめて、物事を粛々と片付けていけばいいのだ。複雑な気分なときは単調な行動をとり続けると、やがて気分が変わり、いい方向に向いた。

そこに至るまでの過程が今日のお昼までの出来事。頭がスッキリしてきた、いい感じだ。昨日も今朝も終わった。これから仕事に取り掛かる。