戸惑いのジャポニズム陶磁器

1.はじめに

岐阜県現代陶芸美術館学芸員の高満津子さん*1は日本の陶磁器史の教科書的な本『日本やきもの史』「近・現代やきもの関連年表(明治・大正・昭和・平成)」のなかで1878年のフランス、パリ万国博覧会における日本の陶磁器に対する評価を次のように記述しました。

5月パリ万国博覧会で日本陶磁器好評に博す*2

1878年5月5日の読売新聞の朝刊は先のパリ万博における日本の陶磁器の評判を次のように報道しました。

仏蘭西の博覽會ハ最早開場になって日本の銅器、陶器、漆器ハ殊に評判がよろしいと此ほど起立工商會シャ*3へ電報があッたと

これを現代語訳すると、

フランスの博覧会は早くも開場にあって、日本の銅器、陶磁器、漆器は特に評判がいい。このほど起立工商会社へこの電報があったそうだ

この作文の目的は、この好評とは何で、誰が下していたのか?ということを、読売新聞の1878年6月28日朝刊の記事から考えてみることです。

2.読売新聞1878年6月28日朝刊

読売新聞は1878年6月23日朝刊、フランスのパリ博覧会を「佛國博覽會景況報告」とうって、報道しています。

四月廿九日曇、會場中にセーブル(村名)陶器製造所長某來ッて我陶器を熟覧す遂に伊萬里焼の大鉢壹個と金千七百フランクにて買へり且つ曰く日本の陶器實に精工と極むと謂ふべし然れども現今漸く歐州の体裁に模擬し爲ために日本固有の風致と失なふものあるに至る之と遺憾とす云々此説獨り所長某の言のみならず少しく其事と知るものハ必らず此憾あり實に従事者の注意せざる可からざるところなり、

これを現代語訳にしてみました*4

4月19日曇り、会場にセーブル(村の名前)陶器製造所の某所長が来て、私たちの陶磁器をじっくり見た。そうしてようやく伊万里焼の大鉢を一個を1700フランクで購入した。某所長がいうには、日本の陶磁器は実に精巧だが、現在、ようやくヨーロッパの装飾を模倣したために、日本ならではの味わいを失っているので、残念に思う、とのこと。この意見は某所長の意見だけではなくて、多少その事情を知る人は必ずこの意見を持つ。まさに陶業関係者の注意せざるをえないことである、

3.セーブル某所長の評価

記事を読めばわかるように、セーブルの某所長は日本の陶磁器に対する技術的な側面を評価する一方で、その装飾はヨーロッパ的で、日本らしさがない、と嘆きます。この記事の中で、所長のいう日本らしさとは何か、が明らかではありません。所長はなぜこのような評価を日本の陶磁器に下したのでしょうか。2つの解釈が成立します。一つ目は、日本の陶磁器が当時、流行中のジャポニズムに合致しないので、日本らしくない、という解釈。二つ目は、所長が見た日本の陶磁器はジャポニズム的であるがゆえに、所長が知る日本の陶磁器から逸脱している、という解釈です。所長は一般人と比べると、日本の陶磁器に対する知識を持つはずだし、当時はジャポニズムが流行していた時代でした。と考えるならば、ここでは後者の解釈を採用してみましょう。

4.戸惑いのジャポニズム陶磁器

先に述べた「5月パリ万国博覧会で日本陶磁器好評に博す」の「好評」とは次のことをさすのではないでしょうか。つまり、日本の陶磁器に対する技術的な側面です。これは一般人も専門家も共通した認識だった。技術的な側面が優れているがゆえに、ヨーロッパスタイルをジャポニズムとして模倣できたのです。この模倣を巡って、評価が別れました。一般人はこの模倣をジャポニズムに重ねて、評価する一方で、所長のような業界関係者はそうは考えなかった。こうして考えてみると、次のことが見えてきます。当時の日本の政府はジャポニズム的な日本の陶磁器を主要な輸出産業として位置づけていました。こうした日本の陶磁器はヨーロッパのジャポニズムを研究した政府の思惑を単に反映させただけではなく、それに従わざるをえなかった業界関係者の戸惑いも内包する側面を有する焼き物だったのです。

≪参考資料≫
読売新聞社1878年5月5日朝刊.読売新聞社
読売新聞社1878年6月28日朝刊.読売新聞社
監=矢部良明.『日本やきもの史』.1998年.美術出版社.

*1:1998年時点での肩書は不明。

*2:『日本やきもの史』「近・現代やきもの関連年表(明治・大正・昭和・平成)」、この記述におけるソースは不明。

*3:示部に土。

*4:現代語訳に間違いがあれば、ご一報ください。