想像力

8月14日に京都市上京区の樂美術館の企画展とワークショップを取材。僕は館長であり、陶芸家でもある15代樂吉左衞門さんに初めて会えると喜び、あわよくばコメントも取りたいという野望に燃えていたので、取材が楽しみでしかたなかった。

学生時代、僕は佐川美術館で樂さんの作品と出会った。同館が彼の茶室をオープンさせた初日に、僕はそれを見学した(当時、茶室見学の予約はなかった)。作品を見て、作品集も買った。僕は、樂さんが芸術一家で育ち、専門的な訓練を重ねてきたことを知ったから、ああいう作品を作れることも理解した。

以前、ある茶人が「彼の作品はゴツゴツしていてお茶を飲めない、鉢みたいだ」と評すると、僕は「彼の茶碗を使ったことがあるのか」と聞いた。そういう類のお茶人の答えは決まっていて、「ない」という。だから、僕は「それは使ってみてから、評価を下したほうがいいのでは」と反応した。あるいは、有名な陶芸作家とデザイナーの言葉を借りて、「樂家は歴代の作品の真似を禁じるなかでの、あの独自性はすごいのでは」とも言った。

僕は樂さん本人を知らなかった。樂さんに会えるとも思えなかったし、会いたいとも思わなかった、そういう可能性を想像したことさえなかった。存在が遠いからだ。取材を通じて、樂さんの声、表情、言葉づかい、身振り手振りを知った。僕は過去の自分にいう。人生何が起こるか、なんとなく予測がつく。ただ、時には思ってもないことも起こるから、想像力の範囲を押し広げ、可能性を切り捨てないように。
本当にいい一日、楽しい充実した時間だった。