おばあさんの物語

 滋賀県大津市のなぎさ公園のベンチで僕は休憩していた。
 僕の目に入ってきた人物が目の前のハトを蹴散らすおばあさん。中肉中背。赤毛。髪は油っ気が少ない。ハトがバサバサと飛び、彼女はニヤリと笑う。その時、僕と彼女の目があって、また彼女はニヤリ。彼女は僕が座っているベンチに腰かける。両指に金メッキの指輪。赤茶色の薄手プルオーバー。はきつぶした紳士靴のような黒のスリッパ靴。ペンで書かれた濃淡のない眉毛。白い化粧を顔に厚く塗りたくっている。野球のホームベースをふにゃふにゃにして形を崩したような輪郭。彼女は「オタク、どこの人?」と僕に問うたあと、自分の物語を語りだした。

 私は函館で育ったんや。5人兄弟の2番目。家が材木屋だったから、ほれ、これがたくさんあったのよ(彼女は右手の親指と人差し指で○を作る。つまりお金のこと)。土地も300坪ぐらいあって、人も80人ぐらい雇ってた。でもな、父親が40歳で胃ガンで4日で死んで、母親も36歳で死んだ。ほれ、当時は医療が今より、発達してなかったから。姉は東京に養子に出されて、私はパー(馬鹿のこと)やったから、勉強したかったけど、親戚に「パーマ屋で働いてほしい」って言われて、15歳から働き始めた。
 滋賀に来た理由は主人と結婚したからや。主人は卸会社の営業をしていて、全国の支店を飛び回ってて、函館に来たんやな。それで主人が、私が勤めてたパーマ屋へ来たわけ。若い子がいると、店が繁盛するやろ。私がその若い子やったわけや。私も彼氏がいたんやで。○○病院の息子で、付き合ってた。でも、別れて、滋賀県に来た。なんでやいうたら、主人に犯されたのと琵琶湖に魅せられたからや。だから、ほれ、どんなに琵琶湖が美しいかと期待に胸をふくらましてたけど…、なんにも面白いことあらへん。
 私、毎日、この辺を散歩してるだけ(笑)。主人は働いてるし、家もあるし、これもあるから(彼女はまた右手の親指と人差し指で○をつくる)。主人に犯されたことは恨んでない。
 私な、一ヶ月前に倒れて。働きすぎて。それで、ほれ、この指見てみ(右手の人差し指の第一関節が曲がってる)。毎日、はさみもって、お客さんの髪の毛切ってたから。この通り、こんな指になったんや。
 私が滋賀に来てからは、主人の家もあるから、店を出さずに、パーマ屋で働いてた。ほれ、私は散髪はできても、美容のことはわからんかったから、とにかく経験を積もうと思って。それから大津に店をようやく出して。
 店は繁盛したよ。瀬田や堅田草津からもお客さんが来てくれた。5人の従業員で店を回してたんやけど、ウチの店はよそよりも4割ぐらい値段を安すしてたんや。それで、若い従業員もいるやろ。ほれ、だから、ちょっとツッパった子とかがその子ら目当てで来る。あと、議員さんとか知事さんもよう来た。私、議員さんから言われたもん。「あんた仕事、辞めたらあかんで、辞めたら」って、がっしり握手しながら(彼女は力を入れて、僕の前に手を差し出す。彼女の眉間にしわが少し寄って、目は真剣そのもの)。うれしかったな。
 私、年寄りやから、来店したお客さんの革靴も「キュキュ」っと磨いてた。年取ってるから、そんなん恥ずかしくもなんでもない。お客さんが、ほれ、喜んでくれるやろ。「そんなことまでしてくれるのか」ってよく言われたわ(笑)。今は店、たたみました。テナントが空いてるから、誰か入ってへんかなって時々、見にいくけどな。
 おたく、独身?うちの娘が結婚せえへんねん。商業高校を卒業して、今は不動産屋に勤めてるんや。そこで甘やかされて、宅建の資格を取ってから、月40万円もらってな。500万円の車、60万円のスーツとか100万円の時計とか買ってな。ほれ、私も70歳やから孫の顔も見たいやろ。娘は娘で頑張ってるから、私からはなんにもいえんのやけど。ほれ、孫ってかわいいやろ(笑)。息子もいるんやけど、息子もあかん。息子は若い時分に結婚したんやけど、嫁さんが芸子さんの美容師で道具代とかで400万の借金作りよった。息子はそれで嫁さんと別れて、今も独身。私は「なんで結婚せえへんのや」って息子に聞いたんやけど、「女の人が信用できひんから」って。わからんでもないけどな。息子に子どもはいるんやけど、今は彦根の大学に通ってる。なあ、娘の孫を早く見たいわ。
 おたく、ここ寒くない?(日差しが強かったので、僕は日蔭のベンチで休んでいた)いや、私、寒いわ。やっぱり年よりと若い人の差かな(彼女は立ち上がって、日の当たるベンチへと移動した)。