スローモーション

今週は色々な人に厳しく、楽しく振り回された。ようするに、僕は生産性に強く規定された生活を送っていた。

いつもの休日なら、時間を有効に使いたいから、7時ごろに目を覚まし、段取りよくテキパキと家事をこなし、朝食をとる。午前中が充実する。それから外に出向き、疲労して帰宅する。今回は違った。

まず起きるのがだるい。足取り重く、朝の用を足す。遮光カーテンを開ける気にならない。次に洗濯機を回したり、掃除機をかけたり、朝食を作る気力が湧かない。一週間分の洗濯物、ビールの空き缶、床に散らかった抜け毛やほこり、おかしの食べカスがたまっているから、なんとかしたいと思うが、だるい。最後に仕事を一つでも片付けなければいけないが、だるい。前向きな思考でこの局面を乗り切ろうと思うが、毎回毎回、前向きでいられるわけがねーだろ、バカ野郎とボーっと思う。

こういうときは何も考えずに、段取りなんてどうでもいいから、順番に物事を片付けていくのに限る。僕はこの経験則に従う。椅子に座って、歯を磨き、それから立ち上がって、カーテンを開く。ノロノロとした動作で布団を上げる。シャワーで寝癖を直して、洗濯機を回す。ひげを剃りは面倒くさいからほっとく。水を一杯飲む。

先週の僕が今の僕を見れば、きっと、こう思うだろう。スローモーションな朝。僕は足をゆっくりを上げて、足を床にペタリとつける、それを繰り返す。足先が少し冷たい。

掃除機をかける。ぼやけている頭のなかで、気力がわかない理由をなんとなく探す。そういえば、今週は心身を摩耗したから、今の状態は当然の帰結だ、と結論。今日は生産性からはずれた生活をして、ゆっくり過ごしてやる。将来は暖炉の近くで本をゆっくり読むめるような生活をしてやるぞ、猫と一緒に過ごすぞ、などと思う。

掃除機をかけ終わって、しばらくたつと、洗濯機が洗濯終了のアラームを流す。僕は洗濯ものを干し終え、机の上にちらばったお弁当の空箱を捨て、ビールの空き缶を捨てる。それから椅子に座って、目を閉じる。

目が覚めた後、散歩をする。足取りは相変わらず重く、だから歩くスピードは老人とほとんど変わらず、たくさんの人たちに追い抜かれる。歩くスピードが遅いので、いつもと見えてくる風景が異なる。その帰結として、思考がいつもと異なる。ちょっと違う道に進みたくなる。僕はいつもの道をまっすぐに進むのではなく、左に折る。たこ焼き屋を見つける。チャキチャキな若い女と中年の女が店を切り盛りしているらしく、丸刈りの子どもが客としてたこ焼きが出来上がりを待っている。

道をさらに進んでいくと、商店街にぶち当たる。シャッター通り商店街ではなく、なんとなく活気がある商店街で、「たこ焼き200円」とか「寿司半額」とかの値札が貼られ、母と娘が洋服屋のボディーに飾られた洋服を吟味している。僕はひときわ照明に照らされた果物屋の前を通りすぎる。10秒後、店員の若い女が「○○が安いよ。安くて、美味いよ。500円だよ。さあ、いらっしゃいらっしゃい。安い、安くしておくよ。いらっしゃい、いらっしゃい。メロンが安いよ、メロン!!!」と僕の背中に声を掛けてくる。あまりにしつこいから、後ろを振り返るとその女の声がピタリとやむ。

生産性に規定されている日々を過ごしていると、そこから外れた日の自分が無能に思えてくるが、それも悪くないと思う一日だった。