赤ん坊の鳴き声

ひどく憂鬱な昨日があって、
今日もひどく憂鬱な時が襲ってきたので、
「今やばいな俺、狂いそう」と俺は何度も思いながら、
カメラのシャッターを切り、仕事に従事していた。


俺の様子に周りは気がついていて、
「疲れてるの?」「眠いの?」と何回か質問し、俺は「そうです」と答えた。
一段落ついてから、俺は手洗いで用を足した後、鏡を見ると
目が充血していたので、びっくりした。
感情は眼球に現れるのかと思った。


仕事が終わり、俺は地下鉄に乗った。
ベビーカーに乗せられた赤ん坊と母親が次の駅で乗車してきた。
赤ん坊は電車が怖いらしく、その子らしい泣き方で、泣いていた。
というのは、母親は「電車は怖くないですよー」と何度も同じ言葉で、
しかし口調を変えながら、赤ん坊のお腹をさすっていたからだ。
地下鉄は揺れる音もあれば、アナウンスの音もあるし、人々の話す声もある。
俺が感知しない音だってあるのだろう。


赤ん坊は泣き止まない。
その泣き方は生まれたての丸い体の使い方を
泣くことを通じて、探っているように俺には思えた。
だから全身で泣くという感じはなくて、
「体ってどうやったらいいかなー」という戸惑いのようにも思えて、
赤ん坊はのどを振動させて、
梅干しのような塩辛いぽつぽつとした赤ら顔で泣いていた。


赤ん坊の泣き声を聴いて、俺はその赤ん坊を愛おしく思った。
それから俺は過去を振り返る。
きっと俺もこういう風に
両親から何度もあやされたのだろう。


俺の目の前で眠ってる大人、スマホをいじってる大人がいた。
初老夫婦が身をよじって、興味深そうに赤ん坊を眺めていたり、
中年女が眼鏡越しに迷惑そうな顔をしていた。
俺はもっと泣いてほしいと思った。
その声を聴いていたい。


俺が降りる駅でたくさんの人が降りていった。
俺が電車を降りるとき、赤ん坊をチラリと見た。
赤ん坊は不思議そうな顔で俺たちが電車から降りていくのを眺めていた。
興味深そうに、はっきりと。
あの目はアーモンドみたいだった。
赤ん坊は泣かなかった。