『日本ジーンズ物語』

『日本ジーンズ物語』という本をご紹介。著者は杉山慎策さん、肩書きは立命館大学経営管理研究科教授です。以下、面白かった3点。

柏野 中古のGパンをマルセルさんから預かって持って帰ってね、分析したら結局糸の真ん中が染まってない。なんで真ん中が白いんかと不思議でしたね。素材メーカーに聞いても日本にはないというし、どうしたら手に入るか考えましたね。当時日本のワーキング用の木綿の生地は4・5オンスか6オンスですわ。手に入れたアメリカのキャントンのデニムの生地は14,5オンスくらいでした。縫製のノウハウはあったのですが、どうにも歯が立たない状態でした。
大島 結局は中古ミシンを輸入することにしたんだけど、なかなか入ってこないんだな。アメリカのユニオンというミシンですな。あれがなかったら縫えなかったな。
柏野 生地が入って、ミシンも届いて、どうにか縫えるようになって、さあ、糸が無い言うて。カタン糸が30番か50番以外にないわけですよ。それで、アメリカだったら10番、20番、30番というのがあって、それで縫わないと無理なのです。リベットもボタンも調べてみたら、どちらも国内にはありませんでした。それからファスナーもですね。ファスナーも輸入しました。どうにかこうにかして50反をGパンに仕上げたんですよ(pp65-68、一部省略)。

柏野 あのウッドストックのコンサートあたりですね。大きな変化が出てきたのは。1969(昭和44)年の夏ですね。GパンにTシャツが若者文化の象徴でした。
大島 ベルボトムスタイルもビックジョンが最初に作りました。1年ぐらい全く売れなんだんですわ。ところが時まさに来たれりで、長髪にベルボトム反戦時代がきてあっという間に大ヒットです(pp78−79、一部省略)。

大島 終戦後、アメ横でGパンの販売ですね。ジーンズって言わなかったね。GIパンツという時代がありましたね。それから輸入、生地を輸入して組み立ての生地時代がしばらくあって。それから国産のデニムという時代になって。今は国産のほうがいいと言われる時代。今度は輸出の時代だと(p82)。

日本のジーンズ現代史を学びたい方に。

日本ジーンズ物語

日本ジーンズ物語