『なぜ人は服を着るのか』

本書は人が服を着る理由に対する鷲田さんの論考を集めたものです。著者は大阪大学総長の鷲田清一さん。哲学者です。以下、面白いと思った3点。

他人と外見がほとんど同じであることは、市民のひとりとしての個人の存在を構成しますが、しかし外見がまったく同じになれば逆に個人としての存在は不可能になります。他者とほぼ同じであるということが個人の同一性を可能にし、逆に他者とまったく同じであるということが「だれ」という意味での個人に固有の同一性を不可能にするわけです。このように、ファションという現象には、ひとびとがたがいに相手の<鑑>となって、みずからのセルフ・イメージを微調整しあうという面があります。「微妙な差異」に人ひとがこだわるゆえんです(p40)。

若く見せる化粧というのは、ひとの心を老けさせる。人間の存在を生産性において規定することで、じぶんをその生産性において退化しつつあるものとして意識させるからだ(p167)。

スポーツウェアは、日常の行為にみられるような社会的な文脈というものを、きれいさっぱり解除する。発声をエスペラントに変換するように、身体とその運動を純然たる約束事の世界に置き入れるわけだ。歴史的な条件やコンテクストから身体を外すことで、それを被うコスチュームにおいても大胆な抽象化が可能になる(p212)。

本書はこのほかにも、なぜ古着が流行るのか、どうして顔は裸なのか、なぜ身体に穴を開けるのかなどの問いに対して、鷲田さんが考察を進めていきます。

ひとはなぜ服を着るのか (NHKライブラリー (96))

ひとはなぜ服を着るのか (NHKライブラリー (96))