『STREET FASHION 1945-1995』

本書は1945年から1995年にかけての日本の若者ファッション史です。以下、面白いと思った3点。

モード雑誌と違って映画には、「どんなスタイルを」だけでなく「どんな人間が」「どんな状況で」「どんなふうに着るか」のメッセージを伝達する機能がある。それらの複合体が時代の流れと共振したときに初めて、大きなブームを引き起こしうる。メッセージ複合体としての映画が生み出したファッションという意味では、「太陽族」こそ、一連の「太陽族映画」を震源とする、この時代のもっとも強力なシネマファッションだったともいえる。日本の映画界は、58年をピークに斜陽化する。以後、ビジュアルメッセージの情報源はTV、雑誌、音楽シーンなど多様なメディアに拡散して、その後ファッションに単一のブームを生み出すことはない(p39、一部省略)。

日本では67年から74年ごろまでミニスカートが大流行し、一時姿を消すが、今では定番的なファッションとして定着している。日本でのミニブームのきっかけをつくったのは、67年10月ミニスカートの女王と呼ばれたイギリスのモデル、ツイギーの来日である。また、ミニスカートの流行はパンティストッキング、カラーストッキング、そしてブツという新しいファッションアイテムを流行らせることになった。スカート丈が短くなったことによって、従来のストッキングの上端とガーターベルトが見えてしまう。そこで、68年からそれをカバーするパンストが市販され、ミニへと連動し普及していった。ブーツも同様に、防寒用としてやスポーティー感覚が受けて大流行した。もともとロンドンの下層階級のストリートファッションから生れたミニスカートは、イギリスの階級社会に対する反抗やいらだちなど、反体制的な意味合いが強かった。さらに、それは女性の精神的な解放にもつながっていたといえる。それまでの女っぽさを強調するファッションから脱却して、男に媚びないで女性自身の魅力をストレートに表現するファッションへの挑戦が、ミニスカートの根底には流れていたのである(pp109−111、一部省略)。

ヘビーデューティー」という和製ファッション用語が日本に登場したのは、70年代中頃である。原語は「過度の物理的な負担に耐える」「丈夫な」という意味でよく商品説明で使われる言葉だが、ファッション用語ではない。日本人はこの「ヘビーデュティー」の語に、「機能性」重視の「モノマニアック」な志向と、「アウトドア」または「サバイバル」シーンを読み取った。転じて、アウトドアスポーツなど特殊な用途のために開発された機能性重視の衣料を、ファッションとして、街で着ること、それをヘビーデューティーと名づけたのである。当初耳新しかったこの言葉は、若い層に共感を呼んで間もなく共通の了解事項となった。76年に創刊されたシティーボーイマガジン『ポパイ』がヘビーデューティーの普及に一役買った。「本物である」、それが当時の若者を魅了した。(p164、一部省略)。

ストリートファッション 1945‐1995―若者スタイルの50年史 (時代を読むシリーズ)

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