『石津謙介 いつもゼロからの出発だった』

日本のアイビールックを、TPO(time/place/occation)を生んだVANの創始者、ファッションデザイナーの石津謙介さん。今日は彼が執筆した『石津謙介 いつもゼロからの出発だった』をご紹介。本書は石津さんによる石津さんの自伝です。以下、面白かった3点。

商売替えした小売店には、ヴァンジャケットから店員を派遣した。今でこそデパートにメーカーが派遣店員を出すのはめずらしくも何ともないが、それは僕がその頃始めたのがきっかけだったらしい。”アイビー”と言っても、当時は百貨店の人でさえ何のことか知らなかったからだ。ぼくが派遣店員を出さなければ、お客に説明ができなかった。そのアイビー・リーガーの服とは、「流行に左右されることなく、長期にわたって着られる服」である。それこそ、戦後の日本人の欲望を満たしてくれるものと思ったが、半面、アメリカ式のファッション哲学が日本人に本当に受け入れられるであろうかと一抹の不安が残った。しかし、その不安は僕の頭からすぐに消えた。なぜならアイビー・リーガーの精神は、日本の旧制高校の弊衣脱帽という精神とどこか共通したところがある。つまり、バンカラの裏返しとしてのダンディズムと思いついたからである。「アイビー・ファッションは、必ず日本人に何の違和感もなく迎えいれられる―」ぼくは自信が湧いてくるのを感じた(pp55-58、一部省略)。

VANの創始者として、ぼくは”VAN教”の教祖とまでいわれた。そのことでぼくは何度か警察から呼び出しを受けた経験がある。銀座の商店街から警察に対し、「VANの袋を持ってたむろしている若者を何とかしてくれないか」との苦情が出たからだ。ぼくは警察に呼ばれ、不良防止のため彼らを説教しろという話になった。若い人たちを対象に警察庁主催、VAN協賛のイベントをヤマハホールで開いたのは、そのためである。その講演に立ったぼくはスライドを見せ、アイビーの各大学紹介からアイビーの精神を語り、彼らは不良とはまったく逆の誇り高き人種だると説明したが、それがまたVANやアイビーの絶好の宣伝になった(pp61-62)。

大量採用はその後も続き、昭和50年の従業員数は遂に2000人を突破し、ヴァンヂャケットは押しも押されもしない大企業になったが、話を戻すと、「昭和40年頃は毎日会社へ行くのが楽しくてしょうがなかった」と当時の社員たちは口をそろえて言う。入社時に手渡されるナンバー付きの「VAN」バッジは社員の誇りであり、街中でも電車の中でも、皆が「VAN」バッジを見つけてはうらやましがるのが嬉しかったと言う(p73)。

石津謙介―いつもゼロからの出発だった (人間の記録)

石津謙介―いつもゼロからの出発だった (人間の記録)