「ルーシー・リー展」 in 大阪市立東洋陶磁美術館

久しぶりだった。人々が美術館に入館するために並ぶ姿を見るのは。デート中の男女、中年の女たち、ベビーカーを押す若い夫婦、友達母娘、芸大生めいたファッションの若者たち、老いた男や女たち、家族連れ、小さな子ども…老若男女が10mほどの列を作る。

大阪市立東洋陶磁美術館が2010年12月11日から2011年2月13日まで開催している「ルーシー・リー展」である。

中年男の警備員が人々の整理を行う。中にはチケットをすでに持つ者もいるが、警備員は厳格にしかし平身低頭で、チケットをお持ちの方も並んでいただいております、と断りを入れる。館内で、人々は蛇行したスロープの中にまた並ぶ。秋山陽のオブジェが人々を出迎えるが、それに気付く者は少ない。春の訪れを告げるような暖かさ、差し込む光、人々の熱気が館内の温度を上げているのだろう。多くの人々が上着を脱ぐ。美術館に行き慣れた者はコインロッカーにバックと上着をしまう。それを知らないものは腕に抱える。待ちくたびれた、ルーシー・リーの作品を見たいという顔。

観客は最初の展示室で詰まる。体力と見たい気持ちが一番充実しているからだ。さりげなく、強引に身体を列に入れて来る中年女、泣き喚く子どもを連れてくる親たち、一つの作品を長く見つめる観客、喋りっぱなしの男女、背中に頻繁にぶつかってくる160センチほどの男…。しかし、この詰まりの一部を担っているのは僕でもある。お互い様だ。仕方がない。

ルーシー・リーの作品群は滑らかで、優美で、力強く、繊細で、絶妙なバランスで、洗練されていて…という形容詞がよく似合う。ただ、これらの言葉は他の作家やプロダクトにも十分当てはまる。どうして、彼女の作品群がこれほどの人気を集めるだろうか。手がかりは、館が用意するイギリスBBCによる彼女の20分間ドキュメンタリーにある。それは彼女の経歴、関わった人物、そして彼女の80歳の作業風景を映し、彼女の物腰の柔らかさ、静けさ、落ち着きを伝える。そこに彼女の燦然と光輝くエネルギーの塊を読み取ることもできる。映像は、彼女がウィーン工房、バウハウスというプロダクトデザインの文脈、アートクラフト運動・民藝運動に関与した英国の近代陶芸の父バーナードリーチという手仕事の文脈を串刺しにする作家であることを教える。

ルーシー・リーの作品はプロダクトと手仕事の要素を下地にする。彼女の作品はプロダクトっぽい手作り品である。現代日本の陶磁器産地の陶器の特徴は手作りっぽいプロダクトである。両者はよく似ているがゆえに、人は彼女の作品を受け容れやすい。別ける線もある。それは先に述べた文脈、希少性な作家モノという文脈、そして排除型社会という文脈である。希少性はある臨界点を超えると消失する。彼女の作品は臨界点のなかに収まり、日本の手作りっぽいプロダクトはこの臨界点を超える。戦後世界の美術の力学がイギリスとアメリカに移動し、イギリスがイギリス国籍を取得した彼女を評価する。かくして、彼女の陶器は作家モノなる価値を帯びる。
彼女の代表色は例えば、今回のチケットや図録に掲載されているように淡いピンクと白である。現代日本は排除型社会である。この社会は淡いピンクと白をかわいい色として位置づけ、その色は排除されないための包摂の色として機能する。あるいは、人は彼女の作品の不安定さ・危うさに自己のそれを投影する。彼女の作品は近代デザイン、手仕事、作家モノ、そして排除型社会という文脈を貫く。彼女と同等の作家、それ以上の作家は世界中に存在するが、この文脈を貫く作家はほとんどいない。ましてや近代デザイン、手仕事という文脈は時間が経過すればするほど価値を帯びる。これが彼女の作品に人が集まる理由だと結論する。

2時間後の15時半、僕は会場を後にする。出入り口に並ぶ人々は20mを超えている。