「現代陶芸の地平を拓く〜富本憲吉から八木一夫へ〜」in 兵庫陶芸美術館

兵庫陶芸美術館 The Museum of Ceramic Art, Hyogo - 土と語る、森の中の美術館が2011年1月22日から2月27日まで開催している「現代陶芸の地平を拓く〜富本憲吉から八木一夫へ〜」。展覧会は4章から構成される。僕は「第3章 20世紀後半生れの作家 うつわ」という展示を見たとき、工芸的な現代陶芸は終わったのではないかと思った。理由は以下の通り。展覧会のパンフレット第三章の解説=文脈を見てみよう。

20世紀前半生れの陶芸家の中には、「うつわ」の概念について思索を深めた作家がいました。一方、20世紀後半、つまり戦後生まれの作家の中には、やきもの作りの基本的な工程である成形、装飾、焼成などの要素に注目し、自らの目指す表現にかなう方法を選び、制作する作家があらわれました(p5)。

これは解説=文脈として成立しない。「やきもの作りの基本的な工程である成形、装飾、焼成などの要素に注目し、自らの目指す表現にかなう方法を選び、制作する作家」は別に戦後世代に限られるわけではないからだ。戦後に活躍した戦前・戦中世代の作家たちもこうした意識を持っていた。

戦後世代の工芸的な現代陶芸作家による作品の質感、形状、装飾はどれも見事に美しいが、それに対する解説=文脈は立ち上がってこない理由は何か。これは、彼ら/彼女らの仕事の何が新しいといえるのかという批評する側の戸惑いから生れているのではないか。第三章の解説パンフレットは、戦後世代の工芸的な現代陶芸作家による行き詰まりを端的に示し、だからこそ批評側によるその解説=文脈も打ち立てることが出来ないのだ、ということを告白しているのではないだろうか。これが、僕が冒頭に思った理由である。

展示会は陶芸作家の近現代史を圧縮した内容。教科書的な文献に必ず掲載される富本憲吉さん、八木一夫さん、松井康生さん、柳原睦夫さんなどとの作品を実際に目に出来ます。特に、練り込みを極めた松井康生さんの作品をアクリルケース越しではなく、間近で見れるのが醍醐味の一つ。陶芸作家好きは訪れるべし!です。