ライター戸惑う

(財)京都産業21が主催する国際化セミナーを取材。僕は出入り口で名刺を2枚と引き換えに、「プレス・報道」と書かれた入場許可書を頂く。

セミナー前に編集者やカメラマンと顔を合わせ、雑談を交わす。べらぼうに元気なカメラマンの話が面白い。カメラの技術上の進化によって過去の写真のブレが指摘されるようになったという話。カメラの進化によって逆にそのブレなどの未熟さを求める人々の動きがあるという話。編集者はカメラマンの博識ぶりに驚きながら、相槌を打つ。その相槌が場を盛り上げるという悪くない循環。

僕らはセミナー開始20分前にセミナー室入り。編集者が「プレス・報道です」と受付スタッフに告げる。女性スタッフの方が「ありがとうございます」といい、別の中年のスタッフの方が若造の僕を座席を親切に案内する。僕は実績が少ない駆け出しライター、他方、この人たちはどこかの会社に属している。僕は恐縮する。もちろん、こんなに親切にしてくれるのは、「プレス・報道」という肩書きのおかげ。僕はくだらないと思っていた肩書きの大切さを思い知る。編集者とカメラマンはどこかに消えていた。

座席は会場の一番前の正面。机の上にはゴジック体で「プレス・報道」と書かれた紙。僕はそこに腰を下ろす。今日のセミナーはすでに定員に達している。僕は「プレス・報道」として、回りから注目されている存在になっている。僕は頂いた資料を眺めながている格好をしながら、頭は別のことを考えている。よかった、いいスーツを着てきて、いい時計を嵌めてきて、いい靴を履いてきて。記者らしく見える。

やがてセミナーが始まる。主催者の言葉が10分程度。カメラマンがシャッターを切る。カメラを撮影する身体が一切ぶれない。編集者が僕の隣に腰かける。主催者のメモを取る必要がない。にも関わらず、僕は何かメモを取らなければいけないし、それを期待する周囲の視線に応えたい気持ちによって、時々メモを取る。いよいよ、セミナーの主役である講演者が語り始める。

僕は講演者の話をメモしていると、編集者が声をかける。そんなにメモしても使えるところは少ないから、要点だけメモすればいい。僕はその声に従う。僕は何でもメモを取るクセがついているゆえに、メモを取りたくて仕方がない。うずうずする。そもそも要点とは全てを聞き終えて初めて発生する産物だから、メモを取ったほうがいいんじゃないかと思う。ICレコーダーがこの講演を記録しているとしても。やがて、メモを取っていた編集者の手が止まる。僕がメモを取り続ければ、編集者の声に従わなかったことを意味する。嫌われたくない。僕は手帳を開いたまま、ボールペンを握り締めたまま、手を動かさない。カメラマンのシャッター音が時々、聞こえてくる。

ようるすに、ICレコーダーという超便利な発明品によって、ライターはメモをする必要がほとんどなくなった。あとはデータを起こして、発言をまとめていけばいい。それはいいことだ。「プレス・報道」という肩書きで仕事をさせて頂くライターは「メモをとるのが仕事」という周囲の期待に応えたい。他方、現実の営みは、僕が時に講演の話にうなづいて、話を聞き続けるだけ。その落差に僕は戸惑ったのである。