『たかが服、されど服』

『たかが服、されど服』という本をご紹介。著者は哲学者の鷲田清一さん、大阪大学学長です。本書は服飾デザイナーのヨウジヤマモトのショーを差し込んだカラー写真を交えて、ヨウジヤマモトを論じたエッセイです。以下、面白いと思った3点。

欲望のたえざる交替のなかで、欲望じたいがやがて否応なく萎えていき、ほんとうに欲しいと思えるもの、つまり欲しいという感情そのものに渇くようになる(p16)。

モードは、「いま」を生きるうえで決定的と思われる物あるいは事を、季節が変わればすぐに萎れたもの、ときめきを無くしたものとして、洗い流してしまうというかたちで、物語を更新していく。そして、いつも決定的なものを提示し、舌の根も乾かないうちにそれを取り替えることで、逆に決定的なものは何もないという感情のなかに、人を押し込めていく(p32)。

人間においては、ある運動はかならずそれを裏切り、崩すような運動を否応なく招きよせてしまうところがあるらしい。が、このように、思いどおりにならない、思いとは逆のほうばかりに事態が進むというのが、ほんとうは現実というもののいちばんリアルな感触なのかもしれない。一筋縄でいくこと、一つの筋道としてきちんと物語れるもののほうが、なんか嘘っぽく感じられるのが、わたしたちの生活だ(p127、一部省略)。

たかが服、されど服 ――ヨウジヤマモト論

たかが服、されど服 ――ヨウジヤマモト論