『ふだん着のデザイナー』

『ふだん着のデザイナー』という本をご紹介。著者は桑沢洋子さん。服飾デザイナーです。本書は明治に生まれ、戦後に生きた桑沢さんの自伝です。以下、面白いと思った3点。

(昭和19年当時)また、洋裁学校、とくに派手な洋裁学校やおしゃれ雑誌は弾圧されるときいて、戦戦恐恐たるものであった。もちろん、閉鎖した学校も雑誌社もあったが、名まえを新しくして、つづけてゆく雑誌も学校もあった。婦人画報は『戦時女性』となってつづられた。今かんがえてみるとおかしいようなものだが、欧米の言葉はまかりならぬ……とあって、スカートを袴、ブラウスを中衣、ポケットを物入れ、ボタンを掛け具、洋裁学校を衣服あるいは服装学校等々、関係者は、外国語を一切つかわずに神妙にしていたのであった(pp111-112)。

パンパン風俗。その頃(昭和24年から25年)、一般の乗客の中で、何としてもめだったのは、戦争の痛ましい落とし子、街の天使たちである。華やかというよりは、どぎつい色彩のはんらん、趣味のわるいアメリカニズムである。大部分が、アメリカの既製品で、あとはそれに似せた和製の布地でつくられたものでった。赤いボックス・ジャケットに、裾をまくりあげた七分袖のスラックス、ナイロンのショルダーバッグ、どぎつい口紅にチューイングガム、こうした服装が、彼女たちの象徴と思われるほど、どこから見てもそれと区別のつくものであった。彼女たちは時が経つにつれて、それなりに着こなして、全体としてはやや落ち着き、なかには、その種の人たちとは見えないほどたくみに、品のよい着こなしをする人たちもでてきた。しかし、それは一人でいる時であって、二、三人ずつ組になり、あたりかまわず英語と日本語のチャンポンでお喋りする時は、彼女らの職業が、露骨にあわあれるのであった(pp137-138、一部省略)。

日本のロング・スカートは、このようなアメリカを経由し、軍人の御婦人や、戦後日本に来日するシヴィリアンの奥さんたちを通じて、まさにアメリカ的「ニュー・ルック」として、渡来してきたのである(p142)。

ふだん着のデザイナー (桑沢文庫)

ふだん着のデザイナー (桑沢文庫)