下火なオブジェ焼

2011年3月27日記事の追記。京都市立美術館が「女と陶芸」展を3月22日から4月3日まで開催している。僕はそこで面白い出来事に出会った。

オブジェ焼作家の坪井明日香さんのレクチャーに集まった人数は大体80名。以下、うちわけ。団体観光客が40名。たまたま場にいた観客が20名。知り合いやレクチャー情報を聞きつけた者が20名。女男の割合は6対4。世代の割合は若者1、中年5、高齢4。学芸員による司会はなし(ビデオをまわしている男性がいた)。

坪井さんはオブジェ焼のビックネイムの一人である。京都はオブジェ焼が生れた場所であり、日本を代表する陶磁器産地である。現在は観光シーズンであり、開催日時は日曜日の14時。にも関わらず、この比率と世代構成。このレクチャーがもし平日に行われていたら、と思うとぞっとする。

レクチャーのあと、弟子たちが自分自身のオブジェ焼作品を次のように解説した。

  • この作品は陶芸に柔らかさを表現するために作りました。
  • この作品は私の心の内側にあるものを表現しました。
  • この作品は環境問題を表現しました。

その解説はオブジェ焼の文脈=歴史が見られない。疑問は次の通り。

  • 陶芸の柔らかさを表現することのどこに意義があるのか。
  • 私の心の内側を表現したオブジェを美術館で公開する意義はあるのか。
  • 陶磁器の生産は山を削り、煙を吐き出し、水を汚す。陶磁器はリサイクル資源としても使えない。それをどう理解し、作品を造形したのか。

作品解説が終わると、観客は散る。それから、プロの同業者たちがある作品に対して、これはどういう技法で作ったのか、それだけを制作者に質問している。どういう思考を経て、作品を制作したのかという質問はない。プロ同士の技術は神業でもない限り、それほど差はないが、考え方やアイデアに差がある。そこに差があるから技術の使い方に差が生れ、作品に違い出る。

ここで、近年の日本の陶磁器業界をざっと振り返ってみる。陶芸雑誌の廃刊、陶磁器の生産量の低下、輸入陶磁器の増加、陶磁器試験場の入学者の減少。この背景も考慮し、今回の出来事と刷り合わせて、現在のオブジェ焼に対する一時的な回答を出しておこう。

オブジェ焼も下火。