『オールド・ノリタケ名品集』

『オールド・ノリタケ名品集』という写真集をご紹介。編者は大林紀子さん、大賀弓子さん。二人はINCC(インターナショナル・ニッポン・コレクターズ・クラブ)の会員です。オールドノリタケとは明治時代末期から戦前にかけて、日本陶器(現、ノリタケカンパニー)で制作された陶磁器の総称。本書の構成の9割が写真、残りが評論家による評論です。以下、面白いと思った3点。

日本の工芸品が輸出参品となったきっかけは、海外の万国博覧会で紹介されたことである。最初は、文久2年(1862)のロンドン万国博覧会においてイギリスの駐日公使オールコックの収集品である約900点もの漆器・陶磁器等が展示されたことによる。これは、日本の工芸品が、博覧会という公式の場で初めて大量に紹介されたもので、その結果、西洋でジャポニズムを流行させる契機となった(p147、一部省略)。

明治時代に入ると、陶磁器に代表される工芸品は、殖産興業・輸出振興という点で役割を果たしていく。明治6年(1873)のウィーン万国博覧会フィラデルフィア万国博覧会(明治9年)、パリ万国博覧会(明治11年)への参加が大成功を収めたことによって、日本の産品が大量に欧米諸国へ輸出されていく。この輸出の進展に伴って、陶磁器生産技術の変革もなされていく。特に博覧会への参加により、多くの西洋技術が日本にもたらされる。例えば慶應3年(1867)のパリ万国博覧会の瑞穂屋卯三郎による酸化コバルト。ウィーン万国博覧会の納富介次郎らによる各種釉薬・水金等の顔料、石膏型成形法等。これに伴い、日本の伝統技術に西洋技術が融合して、日本陶磁の中に新たな世界を生み出し、より高度なものでかつ欧米好みの陶磁器の生産が可能となったのである(pp147-148、一部省略)。

明治時代前期の輸出陶磁器生産の増加に伴い、素地を産地から買い入れ、それに上絵付けを施すという上絵付業が成立した。そのさきがけは、明治5年(1872)にウィーン万博博覧会出品のために政府によって特設された博覧会事務局付属磁器製造所(東京錦窯)である。製造所では、服部杏圃を製造教師に加え、岸雪圃などの画家により、瀬戸や有田産の素地に上絵付けが行われ、博覧会出品用の作品が制作されていった。「陶画」の確立であった(p148、一部省略)。

つまり、ジャポニズムが西洋で流行→殖産興業として位置づけられた陶磁器→万国博覧会の参加→日本・西洋技術の融合。

オールドノリタケは盛り上げ技法、金盛り、布目仕上げなどによって凹凸が徹底的に、しかも美しく装飾されています。現代日本の陶磁器(オブジェを含む)のシンプルでツルツルな装飾とは対極です。無駄なことは徹底的に省く現代だからこそ、徹底的に凹凸をつけた装飾の作品は新しく思える。

オールド・ノリタケ名品集―里帰りした陶磁器

オールド・ノリタケ名品集―里帰りした陶磁器