ルーシー=リー 翻訳その6

The Lucie Rie Archive at the Crafts Study Centrep7を次のように翻訳しました*1

ウィーンのアパートメントでリーを公開するこのアーカイブスにおいて、わずかな写真が数回出版されている。室内に調和した木製の棚はルーシー=リーのために、一人の若い近代建築家エルンスト=プリシュケによってデザインされた。リーは最初にプリシュケから一台のイスを購入したが、彼らはある強力な信頼関係を確立し、彼は全体のアパートメントから家具を備え付ける委託を受けた。リーは統一感を非常に重視した。彼女は英国に到着したあと、それを船で運び、アルビオン=ミューズに輸送していた。プリシュケは1929年にウィーンからアメリカ合州国に去り、1950年代にオーストリアに戻る前の1939年からニュージーランドで働いた。このアーカイブスにいくらか残っている手紙は精力的で長続きした彼らの友情の特質を証明する。
ある写真アルバムは彼女の家庭の工房で1930年代半ばに作陶するルーシー=リーの数枚の写真を収める。写真の大部分はリーの作業を現している。ウィーン工業美術学校から彼女の毎年のレポートはこのアーカイブに保存されている。重要なことに、それは陶器のスケッチと釉薬の調合が記されたいくつかの非常に初期のノートである。ここに注釈がつけられた器のシルエットは彼女の初期のキャリアで示した陶芸家の実際的な仕事と相互に関係づけられうる。1925年から30年にルーシ=ゴンペルツによる多くの陶器の写真は一冊の豊かに描かれた堅い表紙の出版物『Austrian Applied Art』(1930)において特徴づけられる。それはウィーン工業美術学校の校長であるジョセフ=ホフマンによる序章を含む。彼は特にこの施設の生徒とチューターの成果を喜び、彼らの多くはウィーン工房に含まれた。ホフマンは想像力のあるデザイナーであり、このデザイン共同体の創始者としてよく知られている。このデザイン共同体はある線形の近代的なスタイルにおいて、家庭用品に一つの多様性を生み出した。彼はウィーン工房のギャラリーに含まれているそれに対して手はずを整えることによって、認定証明をリーの作品に与えた。次のヨーロッパのデザインフェアーで彼女の成功をつないだこの称賛は、彼女の作品の初期の質と立場を示す。

*1:翻訳に誤りがあれば、ご一報ください