金持ちの女と知りあってしまった

金持ちの女と知り会ってしまった。肉体関係はまだない。何で知り合ったかといえば、仕事を通じてだ。交差点の信号が青に変わり、横断歩道を渡ると、スプリングコートを着た美人がいたことだけは記憶している。

彼女は既婚者で、僕よりも10歳年上の44歳だ。黒のパンプス、黒のパンツズボン、黒のブルガリの時計、真珠のネックレス、リング幅の広いシルバーといかにも金持ちが好みそうな保守的なファッションのくせに、トップスはユニクロのカーディガンを合わすという女で、芦屋の金持ちをイメージすれば話が早い。はっきりいって、美人だ。

彼女は「私はもう初老の女だからね」と揶揄しながら、ケラケラと笑い、僕に自分の容姿をどう思うのかとしつこく聞いてくる。彼女は実際に美人なので、僕はためらうこともなく、美人だと思いますと答える。彼女は僕の答えに満足したのか、それとも忘れたのかわからないが、数分後に同じような質問を僕に投げかけ、僕は似たような答えを彼女に返す。世間話をはさんで、それが少なくとも5回は繰り返えされ、ようやく彼女は満足するのだった。

僕らが食事をしているとき、店内にかけられていた絵の話にたまたまなった。彼女は「アレはルノワールだよね?」というので、僕は内心でそんなわけねーだろ、どう見ても違うと毒づきつつ、違いますよとビビりながら答えると、彼女は「絵が好きなの?」と質問し、絵が好きですと答えて、「絵をかいてるの?」と質問し、書いてないですと答え、「じゃあどうして絵が好きなの?」と質問し、知り合いの現代陶芸家の先生に感化されて一時期たくさんの絵を見て回ったからですと答えると、彼女は「へー」と関心し、「裕文君って男のくせに珍しいね。ルーブルなんて広すぎて、一日じゃ回れないわよ」と平然と答え、ケタケタと笑った。ようするに住む世界が違う。僕は絵の勉強をしておいてよかったと、教養が生まれて初めて役に立った気がして、この女とこれからも接するなら、やっぱりコツコツと勉強しておかないといけないと思った。

僕の容姿は彼女にとり悪くなかったらしい。それから彼女は僕の声が気に入ったという。だからこうして彼女に食事に誘われた。

彼女は多弁な女で、「新しい風が吹いてる感じがして、いいのよね」と突然わけのわからいことをいうので、えーっと、春風って気持ちいいですもんねと同意すると、彼女は「違うわよ。裕文君と一緒にいると新しい風が吹いてる感じがして、楽しいのよ」と僕がいる世界では聞いたことがない言葉をサラリといって、僕は困惑した。

うーん、こんなことになるとは思いもしなかった。俺、これから一体どうなるんだろう。

6月29日追記
その後、あっさり別れた。