行きつけの中華屋

昨日、ただの中華屋が行きつけの中華屋になった。

70代手前の夫婦が10席で満員になるこの店を経営している。僕は3年ほどそこに通い、いろんなことがあった。

・焼き上がった美味しい餃子を食べ終えてから、皿の上に残る高温で焼かれた結構な大きさの虫の死骸に気付き、無言の抗議として1ヶ月以上、店に行くのをやめ、

・美味しい中華スープを飲んだ時に妙に歯ごたえのあるものに気が付き、口から出すと、それはアルミたわしの破片で、無言の抗議として2ヵ月以上、店に行くのをやめ、

・大体美味い焼き飯の味付けが、時に異常に塩辛く、2口食べて、残し、それでも翌日にまた焼き飯を頼み、完食するという無言のメッセージ抗議を5回繰り返し、

昨日、僕は焼き飯を“また”注文した。

すると、注文を取りに来たおばちゃんが

「にいちゃん、本当に焼き飯、食べんのん?前も残したやろ。それやったら餃子へらした方がいいんちゃう?」と質問した。

僕はこの突然の発言に驚き、頭がジーンとして、思考が一瞬止まり、読んでいたスポーツ新聞の活字が飛んで、ぼやけた写真が目に入り、その写真はさらにぼやけて油絵になり、「焼き飯が塩辛い時があることにやっと気が付いたか」という一瞬生じたうれしさは、しかし「時々ある焼き飯の塩辛さに気がついていない」という落胆へ変わり、言葉が出てこず、伝え方・言い方が整理できずに、思考はフル回転するが、しかしこのフル回転に戸惑いという感情が付着し、つまりこの場合のフル回転は焦りだ。この間、1秒。

「塩辛いので」と頭の中で構成した言葉は、喉元を過ぎて、口から出てきたときに「いや、あ、え、その。味付けが濃いので」へ変わり、おばちゃんは「え、そうやったん。味が濃かったんか。そういうときは、兄ちゃん、いってくれたらいいのに、ほんまにそういう時はいうてな」と大きな声で反応したとき、「ああ、そうやったんか」というおやじの声が厨房から聞こえて、僕は「あ、はい。あの、味付けが濃いというか、塩辛くて」とただちに訂正するが、おばちゃんは「塩辛かったんか。いうてや、ホンマにそういうときは言うてや、兄ちゃん」とさっきと同じような反応を示し、おばちゃんが厨房に戻った時に「味が濃かったんやって」という声が聞こえ、つまり僕の声は厨房のおやじに届かなかった。

かくして、出てきた焼き飯の味はとても薄すく、僕は申し訳ない気持ちで、おばちゃんの目を盗み、テーブルのわきに置かれた醤油をささっと振りかけた。

ただの中華屋が行きつけの中華屋へ変わった瞬間だ。