伯父の背中

毎月、私は伯父と寿司をつまむ。

伯父は真面目で、律儀で、情に厚い。伯父は軽薄さを嫌う。伯父はいかりや長介のような人といえば、わかりやすいだろうか。だから、伯父の冗談は言ったそばから、破たんしてる。私は、伯父が少し苦手だった。

伯父は左腕がなかった。左腕は工場の機械に巻き込まれたという。

私は物心ついた頃から伯父の左腕の肉を不気味に思い、しかしそれを口に出すのははばかられ、いつの間にか伯父の姿に慣れたが、そうなると今度は伯父を見る他人の視線を嫌うようになった。私は伯父に会うと、伯父を守りたくなった。私は20歳のころ、伯父と一緒に食事に出かけた。人気の多い四条通は人でごった返し、私の前を歩く伯父は色々な人たちとすれ違い、やがて若者と肩がぶつか合った。伯父は立ち止まって、「すみません」と会釈し、若者は舌打ちした。私ははらわたが煮えくり返り、若者に殴り掛かかろうとしたが、伯父はまた歩きだした。

伯父は車を運転している。私は子供のころ伯父の車に乗った。伯父はハンドルに裁縫の針山のようなコブをつけて、そこをつかんで、車を操作した。そのコブは暖色系のギンガムチェックのような布でおおわれていて、おそらくおばさんの手作りだろう。私は、父と伯父のハンドルさばきが違うんだなあと思った程度で、伯父の運転を不安に思わなかった。伯父のハンドルさばきはシュルシュルと軽快で、シフトチェンジする手際もまた見事だった。今日、伯父は「60歳の人が高速道路を逆走したニュースがあってな。あんなん、かなわんなあ」と他人事なのに、他人事ではないようにぼやいてから、ビールを口に運び、「おっちゃんももう年や、来月で車のらへんのや」と笑いながら、ビールを机に置いた。私もつられて、笑った。

伯父を守りたいという気持ちは、私が独立してから消えてしまい、私は伯父を生活臭をまとった同じ市井の人だと思うようになった。

私と伯父は寿司屋を出て、梅田の地下街を歩いた。私は色々な人たちとすれ違い、目の前を歩く伯父の背中をぼんやり見ていた。背広をまとった伯父の後姿はどうしても少しバランスが悪い。すると、私と伯父は個人であるが、同時に血でつながっているという実感がふいに私に訪れた。

血縁。

どうして今になってこういう実感が訪れたのか不思議だった。そういえば、私は何度も私の目の前を歩く伯父の背中を見てきた。

私はなぜかすっかり安心し、うれしくなって、伯父に声をかけたが、伯父は人ごみの中で右手を耳に添えて「何?」と聞き返し、「あのな、裕文、今日、晩におばちゃんに電話してくれへんか?」と関係のないことを言った。私は意味がわからなかなかったので、「なんで?」と聞き返すと、伯父は「バレンタインのお礼や」と答えた。私は伯父から手渡されたおばのバレンタインチョコレートの重みを感じて、「あ、そっか。わかった」と返した。

伯父は別れ際、右手を軽く上げ、「また3月に」と言う。私は「また3月に」と応えて、改札に向かった。そういえば、伯父はいつも私を見送ってくれた。伯父は伯父で、いつの間にか大人になった私の背中をずっと見続けてきたのだ。

私は3月に伯父に会うのが楽しみになった。おばさんへのホワイトデーのお返しを携えて。