部屋掃除

特殊な人の部屋を掃除した。特殊な人は完全な暗闇と静寂のなかにいて、自分の世界を生きている。その人は時々、僕たちの世界に連れられてくるし、自分でこちらに来ることもある。専門言語を操れる人がその人と言葉を交せるが、その人がその言語を理解しているとは限らない。

特殊な人が一般的な家に住んでいると、その家は特殊化する。異なる様になる。

人は知らないものを認識できないから、僕は最初、それがわからなかった。複数のカードが規則正しく張られている。それも玄関の扉の裏側に。なんだろう、あれ。自分の視界と認識のピンとを合わせる。「水のトラブルすぐ解決!」という案内の磁石張りシール……


「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」「水のトラブルすぐ解決!」……

玄関の扉の裏側はのシールだらけだった。思考が一瞬停止し、不気味に思う。おぞましい。僕はそれを一枚ずつはがし、ゴミ袋に投げ捨てる。このシールは2台ある冷蔵庫にも数枚張られて、うち1台は電気が通っておらず、冷蔵庫のモーター音がしない。巨大なゴミだ。

壁もおかしい。黒いビニールシートが真鍮色の画鋲で壁に貼り付けられている。壁の何かを覆い隠すためだろうか。わからない。気になるので、試しにはがすと、何もない。あるビニールシートは、中央が四角に切り取られ、そこに充電中のひげ剃り。画鋲は壁に完璧にめり込み、僕はビニールシートを強引にはぎ取ると、簡単にちぎれる。壁に取り残されたのは画鋲、それに挟まれたビニールシートのカス。このビニールシートは黒のゴミ袋だ。特殊な人はそれにはさみを入れ、シートへ変え、画鋲で壁に張り付けたのだ。

ゴミ袋 50枚 黒 45L用 ST-45K

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コクヨ 二重画鋲 500本 カヒ-5

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特殊な人の母親は一般の人で、他界した。母親の部屋を整理しようと、洋服ダンスを開けると、粒上のガムぐらいの黒い何かが白い洋服にある。僕はそれをプラスティックの破片だと思って、触ると、ボロッと取れて、複数の足と胴体の跡。虫の死骸だ。そういえば、この黒いものはイスの上とかじゅうたんに転がってる。

故人の下着類をゴミ袋に突っ込んでいく。どういうわけか、下着類は冷たく湿っていて、しかし臭いはない(信じられないことに、この部屋に僕を連れてきたリーダーは薄いゴム手袋しか用意してこなかった!)。部屋の湿気というか陰気さをこの下着類が代表しているように思える。タンスを空っぽにすると、たくさんの小さな黒い点。タンスの引き出しを取り出し、左右に揺すれば、黒い点は砂のように左右にササっと流れる。ゴキブリの糞だろう。掃除機を当てて、吸い込む。

タンスをハンマーで破壊して、板にして、壁に立てかける。木片がじゅうたんに散らばる。視線を上げると、「イエスキリストを信じなさい!」とマジックで横書きされた紙が細い柱に合わせて、張られている。洋服が壁際のフックにかけられ、洋服と洋服の間に故人のL版写真も掛けられていた。故人が施設にいるときに撮影されたのだろう。故人は白い服を着て、口を一文字に結び、二コリともせず、まなざしは意志的だ。

押入れを開けると、布団が目に入る。布団ケースの布団をひもで十文字に縛り付け、そうでない布団は大きさをそろえ、透明のビニール袋に入れ、ひもで十文字に縛る。かけ布団もシーツも敷布団もどれもこれも湿っていて、重い。なぜ湿っているんだ。まったくわからない。わからないから、考えるが、無駄で、僕は台所の隅で布団を十文字に縛り、そこに布団を積み上げる。重い。息が少し荒くなり、背中と額に汗がにじむ。

ポリ袋 70L 透明 10枚組 N-73

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TRUSCO PPテープ 白 50mm×150m TPP50150

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台所の流しを見ると、割と丁寧に片付けられてあり、なぜか空のペットボトル・瓶が10数本、置かれている。ホームヘルパーが流しを少し片づけているのだろう。ふざけたホームヘルパーだ。これほどの空のペットボトル・ビンを流しに置いて、どんな意味があるのだ。他人事ながら、頭にくる。僕はダイニングテーブルに置かれた午後の紅茶を流しに捨てながら、そんなことを考え、その賞味期限を見ると、半年先だった。この部屋を片付けていると、ペットボトル飲料は全て腐っていると思い込んでしまう。窓から冷たい風が台所に吹き抜けて、ベランダが見える。

すだれがベランダに設置されているが、一部が現役で、ほとんどがコンクリートに朽ちていた。朽ちたすだれは他にもあって、ベランダの片隅に寄せられている。僕はささくれに気を付けて、それをゴミ袋へ置くように捨てる。他に扇風機3台、テレビ台、風呂のフタ、転がったゴミ箱3箱、モップ4本などもベランダに捨てられ、その人はベランダを粗大ごみ置き場として考えているのだろうか。ベランダを片付けていると、避難用のマンホールのようなフタがコンクリートから見える。

袋詰めした洋服やその他のゴミも一旦ベランダに置くことにする。まともに置ける場所がそこしかない。その数、ゴミ袋20余り。黒いゴミ袋がベランダを占領して、部屋の中から辛気臭さが少しずつ消えていくような気がする。

その人に視線をやると、ダイニングのイスに座り、うつらうつらしている。その人は時々、起きて、目の前にある霧吹きを自分の髪の毛にシュッと吹きかける。寝癖を直しているのだろう。この霧吹きは流しに3本、その人の部屋に2本、ダイニングのテーブルに3本。どれも水が入ってる。その人が今使っているもの以外を全て捨てる。ダイニングのイスは4台だが、イスを使う人はその人だけ。家族はいない。

ゴミは結局3トントラック1台分の量になった。僕らは11時から16時までみっちり片づけたので、住環境はずっと改善されただろう。僕はその人と片言を交わし、その人はお礼を僕に伝える。

部屋を後にするとき、その人を振り返ると、その人はダイニングテーブルのイスに座り、背中をまるめ、下を向き、腕を肘置きに預け、じっと動かない。窓から差し込む夕日。時計の針は進んでいく。こんな寂しい異常な光景など想像したこともない。これがこの人の日常だ。

僕らは玄関の扉をそっと閉めた。