「母」の日

今日は「母」の日だ。
母は64歳の誕生日を迎えた。

僕が母と話していると、お互いの年齢の話になった。
それから電話を切って、よみがえった記憶は子どものころの僕だ。

母は受話器を片手に祖母と話していた。
当時の母は今の僕と年齢がそう変わらなかったと思う。

「お母さん、元気でいてよ」

母はこんなことを祖母へ言った。
母が祖母との要件を済ませて、次に僕が祖母に話したのか。
あるいは逆か。
とにかく母は祖母にこういった。

僕は、母が祖母に「お母さん」と呼ぶのはまったく納得できなかった。
僕の世界では、母は母以外にありえず、祖母は母ではなく、おばあちゃんだったからだ。
その母が「お母さん、元気でいてよ」と祖母にいえば、
なんかおかしいけれど、でも母と祖母の話は続いているので、
やっぱりおかしくはないのだろう、でもおかしいと僕はぼんやり思いながら、
そのうちにテレビ番組に引き込まれた。

母が電話を切ると、
僕は「どうしてお母さんにお母さんがいるの?」と何度も聞いた。
母に母がいることが不思議だったのだ、あの頃は。

「お母さんはお母さんから生まれたの。そのお母さんはおばあちゃんのこと」
母はこう答えた。それでも僕は納得できなかったが、
不思議だなあと10秒ぐらい思い、それからまたテレビ番組に引き込まれた。

今日、僕が母に電話を掛けたとき、
僕は言ってしまった。

「お母さん、元気でいてな」

母は「ありがとう、元気でいるよ」と答えた。
僕は少し照れ臭かったのだ。きっと母もそうだったのだろう。
だから2分にも満たない間で、電話を切った。

僕は当時の母の気持ちがこんな感じだったんだろうなと考えて、
それから僕がいつの間にか親を思い、
それを口に出せるようになっていたことにわずかに驚いた。
母は肉体的に「おばあちゃん」になりつつあり、
僕は親を思う大人になっていた。

俺たちいつの間に年を取ったんだろうね。
お母さん、元気でいてよ。