明日やってくるお前へ

明日、お前がここに来て、4か月のお前が
床をぺたぺた歩くだろうことがどうにも私には信じがたい。
それというのも、私が独立するまでに育った家では
生き物を飼ったことなど夏祭りの金魚を除いて、
一度もないからだ。
動物を家で飼うことは動物と生活を共にすることだが、
私は人以外とそれがない。


私の母は動物番組を見るのが好きで、
だから私は子どもの時、「お母さん、猫飼っていい?」と聞き、
母は「お母さん、猫も犬も嫌いだから、絶対にダメ!」と即答した。
「じゃあなんでテレビの動物はいいの?」と問うと
母は「テレビはいいの」とまた即答し、
私は「変なの」と子ども心に思ったものだ。
父親は損得でモノを考えるというか、淡々としているというか、
人間以外に興味がないというか、会社人間というか…
だからなのか、
私は今の今まで「犬・猫を飼っていいか」と父に問うたことがなかった。


私が今年の正月に帰省した時、父の部屋に猫の雑誌が置かれているのを見て、
「あの父が!?」」と驚き、妙におかしくて、
私は母がそのことをどう思っているのだろうと、気になった。
だから私は「お母さん、僕らも独立したし、少し寂しいんじゃない。
ぼけ防止に猫でも飼ったら?」とさりげなく提案すると、
母は「飼わないよ!」と即答し、私は母の一貫性に感心して、笑った。


その私がお前を迎え入れるのだから、今後の生活は全く見当がつかない。
世界中で猫と暮らしている人はいるし、人と暮らしている猫もいるのだから、
私たちもそれなりに上手くやっていけるのだろうか。


私はこれから眠り、朝がそのうちに来る。
目覚めて、歯を磨き、朝食を食べ、音楽を聞きながら、部屋を整え、
ブリーダーの元へ行き、お前は私のカバンに入れられて、
地下鉄に乗って、私の家にやってくる。
お前にとって今日はブリーダーと過ごす最後の日になるわけだが、
きっとお前はそのことを知らない。


私はあの父と母の子どもで、お前は突然、うちに迎え入れられることになるから、
最初、面食らうかもしれない。
お前は私の部屋、私が選んだお前のモノ、その他もろもろをひっくるめて、
ようするに私の歩んできた人生を気に入ってくれるか?
私はお前のことが好きだよ。私と一緒に生きよう。

私は猫を迎え入れる

今週の水曜日に猫を迎え入れる。
丸顔のスコティッシュフォールドである。
私はこいつを迎え入れるにあたり、ベッドから食事皿まで
評判のよいものを一通りそろえた。
私はフローリング保護のためにどれがよいかさんざん迷い、
結局クッションフロアを注文して、壁の爪とぎ防止に
大判のプラスティック板で対応することに決め、
この1週間はなんだかんだで寝不足になった。


私の金も時間もかわいい猫のためだ。
私は猫の名前をどうするのか通勤や帰宅途中でぶつぶつつぶやき、
帰りはホームセンターに立ち寄り、必要な道具や
餌などを吟味していた。
それは私にとって楽しい時間であり、
こいつと元気で長く一緒にいたいから、私の中では当然の行動である。


よく聞く話と違って、
私はこいつに一目ぼれしたわけはない。
直感的にいいなと思った猫は隣のゲージにいた。
鳴き声も耳におさまる。
ただ、この猫は長毛のメスだった。
毛の掃除が面倒で、
長毛のしっぽに猫のくそが絡むのは嫌で、
長毛に潜むノミのイメージも短毛よりも強く、
避妊手術代はオスの去勢のそれよりも高いから止めた。


ブリーダーは「短毛のこいつは噛み癖がありますよ。
猫をはじめて飼うなら、扱いやすいのはおとなしいこっちの長毛の猫です」
というアドバイスをもらい、
私は自分の直感とブリーダーのアドバイスに従わなかった。
仕事を終えて、疲れて、帰宅して、元気をくれるのはどちらだろうかと
考えたとき、長毛の猫はきっと私に寄りそい、
私と静かな生活を過ごしてくれるだろう。
他方、短毛の猫は元気があって、
こいつがいれば、少しにぎやかになるだろうなと思った。
そういうわけで私は、金がかからず、掃除が楽で、
意外性という打算で、短毛の猫を選んだ。
むろんこいつだって売り物である以上、猫並みにかわいい。


今日、2度目の対面を果たしたとき、
元気いっぱいのこいつはオスではなく、
実はメスで、噛み癖はやはり続いていた。
私が先週、短毛のこいつに初めて会ったとき、
まさか噛むとは思わなかったが、
なぜかといえば、それは私に噛みつかなかったからで、
他方、ブリーダーに噛みつこうとしていた。
私は今日2度目の対面で甘噛みされた。
ブリーダーは「甘噛みでも、大きくなったら
猫の顎が成長するので、噛まれることになる。
甘噛みの時に指を喉まで入れれば、
甘噛みをやめますよ」と説明し、私はそれにならった。


そうしたら、こいつは2本足になって、興奮し、
両手を広げて、子猫のくせに
飼い主になろうとしている私に対して
私の「猫」らしからぬ姿勢を見せつけた。


「お前のために色々なものを用意して、
迎え入れる準備をしているのに、なんだそれは」と
いう気持ちが私の胸に渦巻く。
もちろんそれは、ブリーダーがいる手前出せない。
きっと私の表情はゆがんでいただろう。
「こいつじゃなくて、隣の長毛の猫にすれば
よかったんじゃないか」という一瞬浮かんだ疑念は
しかし広まらない。
長毛の猫はソールドアウトという張り紙が貼られて、
ゲージの中にいたからだ。長毛の猫は私を見て、
「にゃあ」
と鳴き、おとなしく伏せていた。


私は水曜日に短毛のこいつを迎え入れるわけだが、
帰宅した後、この猫と上手くやっていけるのだろうかと
少し心配して、それは、この猫が見せた私に対するあの態度。
同様のことが起これば、私は気分次第でこいつを
つねったり、デコピンしたり、餌をあげないかもしれない。
私はその時に見せるこいつの表情を「楽しい」と
感じるかもしれない。私はそれが怖い。


私がこの猫と初めて会った時、「うちに来るか?」と
問うと、「にゃあ」と鳴いた。
今日、私が手付金をブリーダーに支払って、店を出ようとした時に
私に向かってだろうか、「にゃあ」と鳴いた。
私がこの猫を気に入っている理由はこれであり、それから
こいつが私の手の甲に乗せた足の裏のぷにぷにとした肉球の感触である。
私とお前は出会うべくして、出会ったのだと思いたい。
私はお前に早く会いたい。

休日はグズグズするのが私

私は帰省して、山に登ります。
帰省は3日間で、だから荷物は少なく。
結論はアウトドアの格好ですが、帰省するためだけにこの格好は恥ずかしくて、
家を出るまで、グズグズしていました。


私は、私自身が他人の視線にさらされていると考えてしまう人で、
そんなもんは気のせいだといえば、気のせいですが、
その気のせいを取っ払うこともできないのが私。
私は見ることが好きです。美しいもんとか大好き。
その視線が今こうやって自分の身に降りかかってくるなんて……
と書けば、大げさですね。
なんとなくわかっていたことですが。


街には街用の格好があるわけで、
アウトドアの格好は街で目立つので、私はどうやって人の目を避けようかと
思いましたが、そもそも「街」は「町」と違って、
人がたくさんいるところなので、どうやっても人の目を避けられないのでした。
特に橙色のリュックが目を引きます。どんな格好をしても、これだけで
目を引いてしまうのです。だーって、山で目立つのですから。


その上、私は買い物をしなければならない。
一つは母の日のために松任谷由実のベストCDを買うことで、
私がこれに出会ったきっかけは去年の12月に街を歩いていたときに、
恋人がサンタクロース〜背の高いサンタクロース」という歌詞と音楽が耳に入って、
なーんてカラっとしてる音楽なんだろうと思いました。
この曲はずーっと前から耳にしていましたが、
当時、情念にまみれた音楽を好んでいた私に心地よかったので、
実際に買って、聞いてみると、晴れてる。
だから心地いいのかって腑に落ちたんです。
私の好きなものを母にということで、だからといって母が好むかどうかは
別の問題ですが、このCDはJポップそのものというか、日本の歌なんですよね。
きっと母も好きになってくれるだろうと。


他方はヘッドランプとペグの購入です。
前者はさっさと見つけて、買えばよろしい。
後者はアウトドアの店で買わねばならず、
アウトドア格好をした私がアウトドアの店に行くのが
ものすごく恥ずかしいです。なーんでこんなに恥ずかしいのだろう。


だから私は街と町の中間であるマチにあるの
ホームセンターでヘッドランプとペグを買おうと思った次第で、
家から地下鉄までの道のりを歩いていたのですが、
途中で寄った銀行でお金をおろしているとき、
うっかり忘れものをしたことに気がついて、
それは帰省先の地域コミュニティバスのチケットでした。


下手をすれば、750円を現金で支払うことになり、
750円という半端な額はお昼ごはん代にもなり、
チケットがあれば、750円が代替されるわけで、
私にとってはそれなりに大きい額でしたので、
一端帰宅して、チケットを取りに戻ろうと思ったついでに、
そういえば、昨日食べたローソンの四角柱のバームクーヘンが美味しかったから、
コーヒーとそれを食べようと思いつき、
今こうやって、食べたり、飲んだりしながら、今日の作文を書こうと思った次第です。
ちなみに四角柱のバームクーヘンは売り切れていたので、
丸いものを食べました。


そうこうしているうちに小雨まで降ってきて。
もうヤダ。
明日は山日和になって、晴れてほしいなとグズグズしている私は思うのです。

夢のような時間

地下鉄。扉が開くと、
俺とその女性はほぼ同時に座った、対面に。
女性は、髪が長くて、色白で、年は20代だろう。
女性はデニム地の黒のミニスカートをはいていて、
白い下着が▽の形で露骨に見える。
▽の左右に白い太ももがついていて、
なんともたまらず、むふふ、最高だった。

女性の隣にスマホをいじったさえない彼氏が立っていて、
2人とも俺の視線に一向に気がついていない。
女性もスマホをいじっている。
2人はどうやら中国系の観光客のようだ。

女性は申し訳程度に手で股間を隠すが、
スマホを再び操作すると、
▽が俺の目に飛び込んできて、
なんて素晴らしいんだ!俺はなんて運がいいんだ!
と、俺は浮足立つ。

他方で、この女性はなぜ恥じらいがないのだろうと気になったが、
それはきっと発展途上の国で暮らしているというか、
この女は頭のねじが飛んでるんだろう
という思考停止の結論が出て、
俺は本を読みながら、▽が気になって仕方がない。

白い布、▽は丘の形で、
あの薄い布越しにもっと素晴らしいもんがあるから、
もっと見たい!と、俺は思う。

そうはいっても、俺が露骨に▽を見るわけにもいかず、
ジャパニーズはスケベだと思われるのもよくないなと、自制し、
「またあいつ見てるよ」という周囲の視線も気になり、
俺はちらちらじっと見る程度であったが、
2人は次の駅で下車して、夢のような時間は終わりを告げた。

針灸

仕事が終わり。
疲労が膜になって、私の体を
ドロドロと覆っていたので、私は針灸に行った。


先生が「今日はどうされましたか?」
と質問して、
私はこの質問を心の底から欲していたので、
「先生、今日は疲れてしまいました」
と素直に答えて、先生は少し驚いた。

私はドライアイやイライラ持ちでそもそも
針灸に通っているので、
いつもと違う私の率直な物言いに、先生は驚いたのだろう。


私が仰向けになって、治療を受けている時、
今回の疲労はちょっとやそっとじゃ抜けないだろうなと思う。
なんでこんなに疲れているのだろうか。
今日の何時から疲れてきたのか。
誰が私の力を奪ったのだろうかと私は針を打たれながら、
目を閉じて、考える。


途中、先生は私の足を優しく指圧よりも弱く当たるので、
針灸なんだから、今日はドカンと針を打ってほしいなあ
だって、今日の疲れはきついんだから。
そういえば、先生は気功の勉強もしているんだったなどと思い、
もしかしたら今、気功してんのかなとも思う。
私を覆っていた疲労の膜は太陽の光を嫌って、葉の裏に移動する
虫のように体の裏側にもぞもぞ移動していて、
それはベッドにまで移っているような気がしてくる。


私はうつ伏せになる。
うつ伏せになると後半戦である。
先生は頭やら腰やら足やらに針を打っていく。
先生は「あ、痛かったですか」と聞き、
痛いときは「はい」と答える私は夢の世界に半分行っている。
手首や腕に針を打ち終わり、針灸が終わる。
40分。


「どうですか?」と先生。
「眠いです」と返す私。


私は治療院を出て、家に向かう。
最寄りの駅の地下道の階段を駆け上がって、地上に出たとき、
疲れは背骨から全部抜けた感覚になって、
1時間前の疲れが消えたので、私はびっくりした。
報告しよう。
次回、先生に会う時が楽しみである。

兄の苦笑い、弟の癇癪

地下鉄。
アジア系の家族が乗車してきた。
その中に兄弟がいて、兄は10歳、弟は4歳ぐらいだろうか。
兄は私の隣に座り、弟は兄の前で膝をついて、兄と向かい合う。
弟はよく日に焼けていて、笑うと、白い歯が目立つ。
二人は両手の人差し指から始まるゲームを始め、弟は顔をしかめる。


兄弟は再びゲームを始める。
弟が勝ったのだろう。弟は得意げに笑って、私を見上げる。
本当にうれしそうだ。


それから2人はまた勝負を始める。
ゲームは規則に従っている。
規則は私にとって一つの美しさだ。


突如、弟が両の10本指を広げて、兄の指をバチンとたたき、
ゲームをぶっ壊して、規則もぶっ壊れた。
弟によるこのぶっ壊し方を見て、
私はいいもん見たと思ってしまった。
美しいもの、規則的なものが突然壊されたこと。
何の前触れもなく、突然ぶっ壊すこの壊し方。
いきなりちゃぶ台ひっくり返して、何もかもなかったことにするこのやり方。


兄は苦笑いを浮かべ、弟は顔をゆがめて、今にも泣きだしそうだ。
私は兄の苦笑いも、弟の泣き出しそうな顔も知っている。
ああ懐かしい。私も知ってる、どちらも知ってるよ。
私はそう思って、地下鉄を下車したのだった。

ポニーテイルの娘

エレベーターが3階で開いた時、
母親と小さな娘が乗り込んできた。
色白の娘は天然パーマのポニーテイルだ。
年は3歳から5歳だろう。

娘は私を見た途端、母親の背中に回り込み、
私から隠れた。隠れたのだが、娘はひょいと頭を出して、
私を確認し、また隠れて、みたび私を見る。
エレベーターが1階に到着すると、娘は脱兎のごとく
飛び出し、母親が遅れて歩いていく。
脱兎のごとく飛び出した娘の歩幅は実に小さく、
私との距離は確かに広がるのだが、
私にとっては広がっていない気もする。
そういう歩幅だ。
タッタッタ・・・という感じだろうか。

娘は母親が来るのを振り返って待ち、
私を見る。母親が娘に追いつくと、
娘は母親の前に立って、私を眺める。
どうしたものかと思った私は娘にバイバイと手を振るが、
娘は私をただ眺めているだけだ。
私の視界から娘が消え、振り返ると、
娘は私をまだ眺めていた。

私は目が大きいし、中年だし、オールバックだし、
もしかしたら娘の周辺にいるような
大人ではないのかもしれない。
物珍しいのだろうか。

最近、陽が長くなったあと夕暮れにならない夕暮れの街を歩いて、
私は家路に着いた。